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2021-12-28

アントニオ猪木が大阪を語る「ラッシャー木村に髪を切られてファンが騒いだこととか、力道山時代は…」【週刊プロレス】

リングでぼう然とするアントニオ猪木

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 50周年を迎える新日本プロレス。日本の団体では最古の老舗となるが、その第一歩はアントニオ猪木の日本プロレス追放。マイナスからの逆転劇ともいえる。それだけに新日本50周年に猪木の言葉を外すわけにはいかない。とはいうものの、その性格から猪木は過去を振り返らないタイプ。難病と闘いながらも、今も未来に夢を馳せている。

 そんな猪木だが、現役時代から大阪は何かと事件が多かった土地。ここではIGF大阪大会でTV出演などの来阪プロモーションで直撃した猪木の言葉を再録してお届けする。ちなみに大阪では当時、橋下徹知事が誕生して大阪維新の会が躍進していた時期。猪木の言葉の端々から、大阪に対する意識、思い入れが伝わってくるのも印象的だ。
※週刊プロレス2008年3月26日号(No.1412)掲載

――大阪での思い出はありますか?

猪木 いっぱいあるよ。試合のことで言えば、昔の府立体育会館(現・エディオンアリーナ大阪)でラッシャー木村に髪を切られてファンが騒いだこと(1982年9月21日)とか。力道山時代は新大阪ホテルに泊まっていて。まだあの頃はキムチが一般化されてなくて、在日の人が力道山のところへ焼き肉とキムチを運んできてた。まだ差別があった時代だったけど、その頃は何もわかってなくてね。最初のボンバイエ(2000年12月31日、大阪ドーム=当時)も思い出のひとつだね。予想外の客の入りで。あとは大阪城ホールでカーテンを燃やされたのもある(1986年3月26日「INOKI闘魂LIVE Part2」)。

――「イノキゲノム」としては初めての大阪(2008年4月12日)になります

猪木 第1回、第2回、第3回……とこちらから売り込んでいたんだけど、今回はオレが政治家になったころに応援してくれてた人が歳を重ねて、「ぜひ大阪でやってくれ」「なぜ大阪でやってくれないのか」という声が上がってやることになったわけで。逆に東京よりもやりやすいかなと。

――IGFをスタートさせて1年が経過したわけですが、この1年で感じた手ごたえは?

猪木 手ごたえはいいんですよ。特に大阪は独特の雰囲気で。東京のタレントは大阪のテレビにあまり出ない。なぜかというと、この大阪独特のアクに勝てない。逆に言うと、大阪にはそこで育ってきた風土というものがある。だけどオレたちは、そういうのは関係ないんだよね。逆に大阪の方が肌が合うというか。ノリもいいし、手ごたえという部分では、今回は間違いないと。大阪で超満員になって、そこから業界全体が一気にバッと上がっていけるように。(プロレスは)このままいけばなくなりはしないけど、まったく性格が違うものになってしまう。ここで何とかしないと。まぁ、一石を投じた波紋がやっと大きくなってきた感じかな。オレが思っている興行に対する絵と、スタッフが思ってる興行に対する絵は違うんだけど、ようやくオレが描いてる、ものに近づいてきたかなと。

――そんな大阪の街から元気は感じられました? 橋下徹知事が誕生して、なにかと注目されてますが……。

猪木 昨日も飲んでる席で橋下知事の話が出たんだけど、リーダーというのものはどうあるべきか。大阪という街のリーダーなんだけど、それが軟弱だと潰れてしまう。選挙民に媚びずに、思い切って自分の信念を貫いてもらいたい。それだけのリーダーシップを発揮できるかどうか。オレは非常識に「見たくないヤツは見に来るな!」って言うんだけど、媚びたからといって見に来てくれるわけじゃないから。それと一緒。

橋爪哲也

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