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2021-12-28

【アメフト】12月23日に生まれて・・・ きっちり12歳差、ハーボウとスマートのフットボール人生はこれほど違う カレッジフットの楽しみ方(5)

ジョージア大のスマートHC(左)とミシガン大のハーボウHC(右)=photo by Getty Images

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米の人気スポーツ、2トップといえば、NFLとカレッジフットボール。全米4強による大学王座決定戦「カレッジ・フットボール・プレーオフ(CPF)」の歴史は、実は浅く、今季が8年目となる。今回の準決勝に割り当てられた2つのボウルゲームのうち、ランキング2位と3位のチームが対戦するのがオレンジボウルだ。

CFP準決勝 第88回オレンジボウル
ミシガン大学ウルヴァリンズ(BIG10優勝、全米2位)
      vs  
ジョージア大学ブルドッグス(SEC2位、全米3位)
2021年12月31日フロリダ州マイアミ、ハードロックスタジアム
日本時間1月1日午前9時30分【解説】森清之 【実況】増田隆生

 今季の2位はミシガン大学ウルヴァリンズ、3位はジョージア大学ブルドッグス。 ミシガン大ジム・ハーボウとジョージア大カービー・スマートの両HCは、偶然にも同じ12月23日生まれ。ハーボウが1963年、スマートが1975年ということで、少々こじつけだが、日本流に言えば、ちょうど一回り違い。干支は「ウサギ」となる。

 就任はハーボウのミシガン着任が2015年、1年遅れてスマートがジョージア大へ栄転した。ハーボウが7シーズン、スマートが6シーズン戦って、勝ち星が共に64勝。だが、2人のバックボーンは大きく違う。「カレッジフットの楽しみ方(5)」は、ハーボウとスマートの両HCに人生に注目した。(写真はすべてGetty Images)


QBとして、HCとして、常にスポットライトを浴びてきた
…ミシガン大ハーボウHC

 カレッジやNFLのQBとして、スタンフォード大や49ERSのHCとしても、常に注目を集め、スポットライトを浴び続けた。それがハーボウのフットボール人生だった。

 ミシガン大ではエースQBとして、通算でパス5449ヤード、31TD。3年、4年時には21勝3敗1分という好成績を残した。NFLのベアーズに1987年のドラフト1巡で指名された。ベアーズがスーパーボウルで勝利した1年後のことであり、不安定なパフォーマンスが続いていたQBジム・マクマーンの後任と目されていた。余談だが、ハーボウのルーキー年にQBとしてチームメイトだったのが、NFLセインツの現HCショーン・ペイトンだ。

 ハーボウはベアーズのQBとしては数年間エースを張ったこともあったが、大きな成果を残せなかった。そしてコルツへ移籍。QBとしてのピークはこのコルツ時代だ。1995年のシーズン、インターセプトが大きく減り、レーティングは100を超え、チームはAFC決勝まで進出した。逆転勝ちを得意とした「キャプテン・ハーボウ」が、スティーラーズとのゲームの最後に投じたヘイルメアリーパスは、もう少しで決まるところだった。この年のカムバックオブザイヤーにも輝いた。
=photo by Getty Images
 QBとしてNFLで15シーズンプレーし、177試合(先発140試合)でパス26288ヤード、129TDを記録した。

 2001年で引退したハーボウは、コーチに転じる。もともと、父のジャック・ハーボウの下で、現役時代から公認の無給カレッジコーチとして働いていたハーボウは、レイダースのQBコーチ、サンデイエゴ大のHCを経て、2007年には、西海岸の名門スタンフォード大のHCに就任、4年後には12勝1敗の好成績でオレンジボウルにも勝利する。もう誰も、ハーボウのことを元QBとは言わなかった。そしてNFLの49ERSがHCとしてハーボウを迎え入れた。

 カレッジコーチのNFL転身は上手く行かないのが通例だが、ハーボウだけは違った。1年目の2011年、いきなり13勝3敗でNFC地区優勝、NFCチャンピオンシップ進出。2年目は11勝4敗1分けでスーパーボウルに進んだ。兄のジョン・ハーボウ率いるレイブンズに敗れはしたが、2年目のHCとしては破格の成功だった。3年目も12勝4敗、NFCチャンピオンシップに進んだ。4年目のシーズン途中で、母校・ミシガン大HCへの転身が噂されるようになり、49ERSが8勝8敗で2014年の最終戦を終えた2日後の12月30日、ミシガン大HC就任が発表された。

 HCとしての年俸は「ニック・セイバン(アラバマ大)を上回る」などと喧伝されるなど、ハーボウはここでも注目の中心だった。ミシガン大進学を決めた高校トップ選手の発表会には、スペシャルゲストとしてトム・ブレイデイを招くなど、派手な演出も心掛けた。

 残念ながら成績だけが伴わなかった。

 ハーボウを招いた前年から始まった、CFPの全米4強には一度も選ばれなかった。宿敵のオハイオ州立大は4回、ミシガン州立大も1回出場していた。そしてオハイオ州立大との定期戦では就任以来0勝6敗だった。

 2020年、新型コロナウィルス感染症で短縮されたシーズンは2勝4敗で終わった。10万人収容のホーム、アナーバースタジアムでは1勝もできないという大学史上初の屈辱のシーズンだった。

 「いよいよ解雇か」とメディアもファンも注視する中、ハーボウは2021年1月に契約を4年間延長された。 これで腹をくくったのだろう。ハーボウはチーム強化の方針を変えた。QBのパスへのこだわりを捨てた。ファンダメンタル重視、ライン戦重視、ラン重視、オールドスタイルのフットボールに変更した。
=photo by Getty Images
 それが奏功した。11月、劣勢を予想されたオハイオ州立大との対戦では、雪の舞うアナーバースタジアムで徹底的な肉弾戦フットボールを展開、宿敵を蹂躙して待望の初勝利を挙げた。過去15年で2度目の勝利、ある米メディアは「ミシガン大は、iPhoneが発売されて以来2度目のオハイオ州立大戦勝利を手にした」と書いたほどだった。

 この勢いは止められなかった。BIG10カンファレンスの決勝戦では、強豪アイオワ大を42-3で粉砕して優勝。全米ランク2位で、文句なしのCFP初出場を決めたのだった。

ほぼカレッジ一筋、名将セイバンの下で超強力守備を構築
…ジョージア大スマートHC


スマートは、アラバマ州で生まれ、ジョージア州で育った。ジョージア大でDBとしてプレーしたが、2年先輩にWRハインズ・ウォード、同期にはあのCBチャンプ・ベイリーもいた。テネシー大のQBだったペイトン・マニングとも対戦している。
 スマートは、1997年には6インターセプト、1998年には5インターセプトを記録するなど大学通算13インターセプトという好成績を残したが、1999年のNFLドラフトでは指名されず、コルツにルーキーFAで入団。しかし、レギュラーシーズン開始前に解雇された。スマートの選手としてのNFL経験はここまでだった。

 現役選手をあきらめたスマートは、1999年からコーチ修行を始めた。いくつかの大学でアシスタントを務めた。 2002年から2003年にかけては、フロリダ州立大学で名将ボビー・ボウデンの下でも働いた。そして、2004年に運命的な出会いがあった。ニック・セイバンHCの下、ルイジアナ州立大学でDBコーチとしてとして1シーズンを過ごす機会があったのだ。2005年には母校ジョージア大のRBコーチとして過ごしたが、セイバンがドルフィンスのHCに転身したため、母校での職を投げうってセイバンの後を追った。2006年ドルフィンズのDBコーチとして、働いた 。
=photo by Getty Images
 2007年、スマートは、ドルフィンズからアラバマ大HCとなったセイバンを追った。そして1年後、2008年2月にはアラバマ大ディフェンスコーディネーター(DC)に昇格した。2009年12月には、スマートは全米最優秀アシスタントコーチとしてブロイルズ賞を、アラバマ大のコーチとしては初の受賞となった。

 ジョージア大は、スマートがライバル校で着々と地歩を固めるのを黙って見ていたわけではない。DCとして高額な契約で母校に戻るよう勧誘したが、2010年1月、スマートはセイバンの下に残って学び続けることを選択した。

 2011、12年に、アラバマ大は2年連続全米王者となった。2011年は13試合でわずか106失点。12年も13試合で153失点。いずれも全米No.1だった。全米で最高のディフェンスを作り上げたスマートに、大学は報いた。2013年4月に年俸は128万ドル(1億4700万円)となって、スマートはカレッジフットボールで最も高給取りのディフェンスコーディネーターとなった。
=photo by Getty Images
 ジョージア大は覚悟を決めた。コーディネーターではなくHCの職でないとスマートは母校に戻ってこないと確信した。2015年12月、スマートはジョージア大学の第26代HCに就任することが発表された。

 1年目の2016年は8勝5敗。2年目の2017年は、2005年以来のSEC優勝を果たし、大学史上4回目の12勝シーズン(1980年、2002年、2012年)を達成した。全米3位となったジョージア大はCFP準決勝に進出し、元旦のローズボウルで2位のオクラホマ大と対戦。ジョージア大は前半31-14の劣勢から立ち直り、最終的にダブルオーバータイムで、QBベイカー・メイフィールドが率いるオクラホマ大を54-48で破り、ローズボウル史上最大の逆転劇となった。

 ジョージア大は全米王座決定戦に進出。スマートはひのき舞台で、師・セイバンのアラバマ大と相まみえた。アラバマ大は、エースQBジェイレン・ハーツに変えて1年生のトゥア・タゴバイロアを投入する。延長タイブレークではジョージア大が、Kロドリゴ・ブランケンシップのFGで3点を奪うが、アラバマ大はQBタゴバイロアが、WRデボンテ・スミスに41ヤードのTDを成功させて試合を決めた。

 12月4日、今季のSECチャンピオンシップでは、自慢のディフェンスがアラバマ大に蹂躙された。ハイズマントロフィーのQBブライス・ヤングにパス421ヤード3TDを決められ、41点を奪われる大敗だった。

 この試合も含めて、スマートのジョージア大はアラバマ大に勝ったことがない。師を超えて全米NO.1のコーチとなるため、目の前に立ちふさがる相手は潰すだけだ。

過去、56年間は対戦が無かった

 ミシガン大、ジョージア大は共に19世紀から始まる長い歴史を持つ名門チームで、数多の名選手を輩出してきた。今のNFLでいえば、ミシガンOBの代表がバッカニアーズのQBトム・ブレイディ、ジョージアOBの代表がラムズのQBマシュー・スタフォードだ。

 だが、意外にも、ミシガン大とジョージア大の対戦はボウルゲームを含めても、過去2回しかない。直近の対戦が、1965年のことだという。秋になれば毎週スポーツニュースで名前を聞く2つの強豪大なのだから、米国人でも「何回かはボウルゲームで対戦しているんじゃないのか」と思うかもしれないが、なぜか56年もの間、対戦が無かった。わかりやすい時間軸でいえば、この両校が対戦するのは、スーパーボウルが始まって以降、初めてということになる。

=photo by Getty Images

【小座野容斉】

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