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2021-12-30

【高校駅伝】元箱根ランナーで大卒2年目・今季最年少監督の廻谷賢が初陣で洗礼も「選手の夢を叶えてあげられる監督に」

那須拓陽高(栃木)の廻谷監督。日体大で箱根駅伝に3回出場した元箱根ランナーだ

12月26日、たけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場)を発着点に7区間42.195kmのコースで行われた男子第72回全国高校駅伝競技大会。今大会、監督として初陣に挑んだ那須拓陽高(栃木)の廻谷賢監督。日体大時代に箱根駅伝を3回経験した廻谷監督が大卒2年目で母校を率い、34位に入った。

選手の夢を叶えてあげられる監督でありたい

 元・箱根ランナーの24歳は指導者として母校に戻り、自身6年ぶりの都大路。那須拓陽高(栃木)を率いる廻谷賢監督は、34位という結果を真摯に受け止めていた。

「僕の見通しが甘かったです。タイムも順位も目標には届きませんでした」

 目指していたのは2時間05分40秒を切り、25位以内に入ること。雪混じりの向かい風が吹く悪天候の影響もあったものの、想定より遅れること3分13秒。就任1年目の指揮官は2時間08分53秒の現実と向き合い、厳しい顔を見せた。

「もう一つ前の、20番台の集団で勝負したかった。波に乗れなかったです」

 それでも、序盤に40番台まで沈み込みながら、後半区間で追い上げたのは目を引いた。4区の藤田アトム(3年)が区間9位と力走し、アンカーも最後まであきめらずに順位を上げた。最終7区で全力を出し切った小林凌真(3年)は、充実感を漂わせていた。

「トラックに入ってから3人抜くことができました。終盤の追い上げは、廻谷監督にずっと言われていたことです。監督は箱根駅伝を走った経験を持っていますし、レースでの走り方なども教えてもらいました。年齢が近く、話も聞きやすかったです」

 大卒2年目の指揮官は選手の話を知らされると、思わず顔を綻ばせた。

「そう言ってもらえると、うれしいですね」

 廻谷監督は日体大のメンバーとして、3年連続(2018年、19年、20年)で箱根駅伝に出走。大学卒業後は実業団のサンベルクスで1年活動し、今年度から監督に就いている。選手時代の経験が生きたこともあるというが、指導の難しさを感じることのほうが多い。

「自分が走るのと、人を走らせるのは別ものです。選手それぞれの個性に応じて、モチベーションの上げ方が違ってきます。指導者として、選手たちにどこまで言うべきなのか、悩みました。主体性を持たせようとしてきましたが、そこにも甘さがありました。選手たちとの信頼関係が、そこまで築けていなかったと思います。指導者としてもっと努力して、勉強していきます」

 指導者としての責任をひしひしと感じている。今後も引き続き、地元の栃木から多くの選手を育て、成長を促すことに力を注ぎ続けるつもりだ。

「中学校時代に強豪校から勧誘されず、うちに来る選手たちもいます。全国的に強いと言われる高校の3年間も、うちの3年間も同じ時間。そこで差ができないようにしたい。選手にとって、最高の3年間にするために努力していきます。選手の夢を叶えてあげられる監督でありたいんです。選手が優勝を求めれば、僕もそれを求めます。僕から求めるわけではありません。ひとりよがりの監督にはならないようにしたいです」

 指導者として、強い芯がブレることはない。監督キャリアはまだ始まったばかり。来年はひと回り大きくなって、都大路に戻ってくることを誓っていた。


4区区間9位で7つ順位を上げた藤田(左)とトラック勝負で攻めの走りを見せた7区の小林(右)(写真/田中慎一郎、早浪章弘)

文/杉園昌之 写真/早浪章弘、田中慎一郎、那須拓陽高提供

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