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2022-02-02

タイガーマスク時代以降の新春黄金シリーズ…新日本プロレス歴史街道50年<6>【週刊プロレス】

タイガーマスク

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 藤波辰巳のヘビー級転向とともにジュニアヘビー級はタイガーマスクに受け継がれ、それは獣神サンダー・ライガーを経て、現在に至る。年明けはジュニアといわれた1980年代後半を中心に『新春黄金シリーズ』をプレイバックしていく。

 1982年の『新春黄金シリーズ』は、藤波からジュニアヘビー級を受け継いだタイガーマスクが主役。1月1日の元日決戦でキッドと争って獲得した王座を1月28日=東京体育館(キッド)、2月5日=札幌中島体育センター(ブレット・ハート)、同9日=大阪府立体育会館(ベビー・フェース)と3連続防衛を果たしている。

 翌1983年の『新春黄金シリーズ』も当時WWFとNWA世界のジュニア2冠王だったタイガーは、1月6日=後楽園ホール(小林邦昭、NWA世界)2月3日=札幌中島体育センター(グラン浜田、NWA世界)、同7日=蔵前国技館(ブラック・タイガー、WWF)、同8日=大阪府立体育会館(小林邦昭、WWF)と防衛スケジュールが組まれ、見事4連続防衛を果たした。

 ジュニア大戦争となったのは1984年。前年8月のタイガーの電撃引退で空位となったWWFジュニアヘビー級王座を争うリーグ戦を開催。ザ・コブラ、小林邦昭、寺西勇、高田伸彦(当時)、D・キッド、デイビーボーイ・スミス、ブラック・タイガー(初代)、ブレット・ハート、ベビー・フェースの9選手が参加。シリーズ最終戦(2月7日、蔵前国技館)でコブラ、キッド、スミスが巴戦で争い、キッドが第10代王座に就いた。

『ニューイヤーダッシュ』と冠された1986年には新設されるIWGPジュニアヘビー級の初代王者を決めるリーグ戦が企画された。こちらはザ・コブラ、越中詩郎、ドン荒川、小杉俊二、山田恵一、トニー・セントクレアー、ジョニー・マンテル、B・タイガー、スコルピオの9選手で争われ、最終戦(2月6日、両国国技館)で越中がコブラを破って初代王者に。

 そして1988年は『トップ・オブ・ザ・スーパージュニア』の名称でリーグ戦を開催。エントリーされたのは、馳浩、越中詩郎、山田恵一、後藤達俊、船木優治(当時)、小林邦昭、ヒロ斉藤、保永昇男、高田延彦、山崎一夫、オーエン・ハート、トニー・セントクレアーの12選手。2月7日、札幌中島体育センターで越中が当時IWGPジュニア王者だった馳を破って、名称こそ異なるもののジュニアのリーグ戦2連覇を果たしている。

 ただ“トップ・オブ”時代のスーパージュニアはあくまでリーグ戦のタイトル。シリーズ名になったのは“ベスト・オブ”となった1994年からだった。
(つづく)

橋爪哲也

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