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2022-02-07

風間ルミ「私たちは男子と一緒に試合をするために、ジャパン女子に入ったのではありません」大仁田厚の登場にジャパン女子勢は総スカン【週刊プロレス昔話】

「ここはジャパン女子のリングなんだ、覚えとけよ」

 1988年11月7日、ジャパン女子プロレス後楽園大会で事件が発生した。この日のメインはデビル雅美&村光代vsミス・A&ハレー斉藤。そこに引退していた大仁田厚がデビルのセコンドとして現れ、レフェリーのグラン浜田を挑発した。

 次の瞬間、直前のセミに出場していた神取しのぶがリングサイドに姿を見せ、この大仁田と浜田の得体の知れない抗争に対し、冒頭に記した怒りの言葉を吐いたのである。

 この大会の6日前付でジャパン女子には「ジャパン企画プロモーション」が正式に発足し、その最高顧問に「格闘技連合」を画策している新間寿氏が就任。団体の方向性が大きく変わろうとしていた。

 メイン終了後、再び大仁田が登場し、マイクアピール。すると斉藤がマイクで「こんな状態が続いていくんだったら、悪いけどやめさせてもらいます」と叫び、涙を流す。

 これに対して新間氏は「浜田と大仁田を闘わせようじゃありませんか。女子の試合が終わってから、リングを片付けて、それから男のリングを作ってやってもいい」と宣言。観客からはゴウゴウたる非難の声が出た。

 エース格の風間ルミも現れ「私たちは男子と一緒に試合をするために、ジャパン女子に入ったのではありません」と涙の訴え。ヒール軍団「GUREN-隊」の尾崎魔弓とイーグル沢井が、風間と握手を交わし、女子選手たちは大同団結。その後の記者会見で新間氏は「やめたい選手はやめてもらっていい」と発言。ジャパン女子のリングが揺らいでいた。

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