戦前・戦中の相撲界において、
何よりの大目標が無敵・双葉山を倒すことだった。
その栄光を目指すことで強くなり、横綱の地位もつかんだ力士たちは、
どのように大横綱へ挑んでいったのだろうか。
彼らが残したコメントとともに振り返ってみたい。
歴史的勝利挙げた“秘密兵器”昭和14(1939)年春場所4日目、日付にして1月15日は、大相撲の歴史に燦然と輝く一日だ。無敵・双葉山の3年越しの連勝記録が「69」で途絶えた日。止めた男は、名門・出羽海部屋の新鋭・安藝ノ海だった。
初顔合わせの大横綱を渾身の左外掛けで倒した瞬間、日曜日で超満員の両国国技館内は轟音絶叫の嵐。無数の座布団やタバコ盆が飛び交い、「安藝ノ海、うれし涙で泣いております! 布団が飛んでいます!」とラジオのアナウンサーも声を枯らした。一躍英雄となった24歳が感激に浸りながら語る。
「勝てないことはないと思っていた。全力を尽くして倒せないことはないと」
参謀役である、早大卒のインテリ力士・関脇笠置山を中心に、一門を挙げて打倒・双葉の策を練りに練ってきた出羽海勢にとって、安藝ノ海はまさしく“秘密兵器の中の秘密兵器”だった。
入幕は昭和13年春場所とわずか1年前。本場所はもちろん、連合稽古でも一度も顔を合わせたことがない。その年夏の満州・北支(中国北部)巡業中に一度、「一丁来い」と声を掛けられたことがあったが、激しい腹痛に見舞われて断った。結局、それは虫垂炎で長期入院を強いられることにはなったのだが、おかげでその強さを一切肌で感じることなく、この世紀の一戦へ臨むことができたのだ。さらに双葉山が、その中国巡業中に罹患したアメーバ赤痢からの回復段階だったという追い風も加わった。(続く)
対戦成績=双葉山9勝―1勝安藝ノ海
※コメントは戦前の雑誌『野球界』、昭和44年の月刊『相撲』増刊「双葉山追悼号」などによる
『名力士風雲録』第25号 羽黒山 安藝ノ海 照國 前田山 掲載