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2022-02-11

【連載 名力士ライバル列伝】横綱 栃ノ海が語るわが技能と盟友たち――後編

横綱昇進から2年後、小さな体への蓄積疲労がたたり28歳の若さで引退した栃ノ海

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師匠・兄弟子である名人横綱・栃錦を
上回る技能とも評されたと栃ノ海。
大関3場所目の昭和37年九州場所12日目、
この場所3連覇する全勝の大鵬に土を付けた一番とともに、
「柏鵬」の両巨頭を苦しめた卓越した技と、
同門の盟友たちの思い出を、
元栃ノ海の花田茂廣氏に振り返ってもらった。

出し投げは「アゴで打つ」

“廻しを取らない、取らせない”。この基盤となったのは、ハズ押しの名人と呼ばれた入門時の師匠、栃木山さんの教えでした。青森で相撲をかじっていたころは、廻しを取って転がすのが面白くてやっていたようなものですが、プロ入り後は、延々と四股を踏まされての下半身強化。土俵の上でも、ひたすら押す稽古だけをさせられました。

「小さい力士であればあるほど、廻しを取ってはいけないんだよ」

と、栃木山さんには相撲を180度変えさせられたんです。

番付が上がるにつれて四つ相撲も覚えていきますが、そこで教えを受けたのは栃錦関です。廻しはヒジを体の横につけて取りにいく。そうすれば自然と小指から手がかかり、ワキが開くこともない。

「小さい力士が外からガバッと取りにいったら三段目で終わるよ」

と言われたのは、よく覚えています。出し投げについては、「アゴで打つ」というコツを教わりました。アゴを引いて打つことで体がしっかりと回転し、投げが決まる。逆にアゴが上がったままだと、体が回転せず相手に付いてこられてしまうのです。

技を仕掛けるタイミングは、稽古量で自然と身に付いたというか、稽古を“やらされた”からといいますか(笑)。特に佐田の山さん、栃光さんという、無類の稽古熱心が近くにいたのは大きかったのでしょう。

佐田の山さんは入門も1場所違いということもあって、本当に二人でよく稽古をしました。初めこそ体がひょろっとしていましたが、マラソン走者のようにスタミナ抜群で、しかも負けず嫌い。ケガをしようが何をしようが、「もう一丁!」と向かってきて、決して自分から「参った」とは言わなかった。上背があってリーチの長い体型は、突っ張り相撲にピッタリ。兄弟子に千代の山さんという突っ張りの良き見本がいたことも大きかったでしょう。五島の砂の上を走っていたこともあり、足腰の強さも抜群でした。

兄弟子の栃光さんは本当に真面目一本、稽古の虫という方でした。相撲ぶりもケレン味のない、闘牛のごとく真っすぐの正攻法。四つ相撲を取っていたイメージは、ほとんどありませんね。番付が上がってからは、佐田の山さんと一緒に、よくぶつかり稽古で胸を出してもらいましました。そんなお世話になった兄弟子と、大関へ同時に昇進できたのは、本当に光栄の至りでした。

「30歳まで現役」を目標にしていましたが、最後は腰や右上腕筋など満身創痍。負けが許されるのならば、もう少し続けられましたが、そういう立場ではありませんでしたからね。それでも、入門時に「お前、その体でもつのか?」と言われた私が、よく11年間相撲を取り、横綱になることができたな、というのが今振り返っての実感ですね。

対戦成績=佐田の山4勝―0勝栃ノ海

『名力士風雲録』第23号 佐田の山 栃ノ海 栃光 掲載

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