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2022-02-15

【泣き笑いどすこい劇場】第6回「苦境に打ち勝つ!」その2

左ヒザのケガを克服し、大関となった琴風だったが、昭和60年夏場所6日目、右ヒザを負傷してしまい引退の引き金となった。ケガと闘い続けた土俵人生だった

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平成23(2011)年3月、日本列島に未曾有の災難が降りかかった。死者、行方不明者が1万人超という東日本大震災の惨状を目の当たりにすると、ただ息を飲み、手を合わせ、涙するしかない。角度を変えてみると、スケールが違うが、八百長問題に苦悶する大相撲界も同じようにのたうち、もがいているように見える。でも、こんなことでくたばってたまるか。これまでも日本人は試練に遭遇し、追い込まれるたびに雄々しく立ちあがり、以前にも勝る大きな花を咲かせてきた。この苦難は、さらに飛躍し、大きくなるための肥やしだ。そう信じ、こうエールを送って力士たちが苦境を切り抜けたエピソードを紹介しよう。がんばれ東北! 立ち上がれ大相撲!

天を憎んでも始まらない

周囲の声をどう聞くか、これも立ち上がれるかどうかのポイントになる。

昭和53(1978)年九州場所、琴風(元大関、現尾車親方)は2日目の小結麒麟児(最高位関脇)戦で左ヒザの靭帯を痛めて途中休場。翌場所、無理して出場したのがたたって再び同じ箇所を痛め、トータルで4場所連続して休場するハメになった。番付も、西前頭筆頭から西幕下30枚目まで急降下。横綱、大関陣と対戦する地位にいた花形力士が黒廻しで給料もゼロの下積み生活に転落したのだ。

不可抗力のケガが原因とはいえ、あまりにも急激な環境の変化に、「なんでオレがこんな目に――」と天を恨んでみたり、ときには「バカバカしくってこんなところでやってられるか」とやけっぱちになりたくなるもの。琴風もそうだった。そんなある日、師匠の佐渡ケ嶽親方(元横綱琴櫻)にこう声をかけられた。

「実は、オレもケガで下に落ちたことがあるので、何かを恨みたくなるお前の気持ちはよくわかる。でも、いいか。ここからどうやって盛り返すか。お前の本当の見せどころなんだ。やけを起こさず、頑張れ」

佐渡ケ嶽親方は新小結に昇進した昭和39年初場所6日目、横綱柏戸を打っ棄り切れずに重ね餅に倒れた拍子に右足首を複雑骨折。1場所休場しただけで復帰にこぎつけたが、以前の勢いを取り戻すまでにはいかず、十両に転落。元の三役に復帰するまで丸1年かかった。そして、新関脇に昇進した昭和40年夏場所2日目、因縁の柏戸に右上手投げで快勝。

「この1年の苦労が吹き飛んだ」

とうれし涙にくれた。

こんな経験を持つ師匠の含蓄のある言葉で自分を取り戻した琴風は、稽古の後は必ず三重県津市に住む祖母から送られた分厚い手編みの毛糸のヒザ当てを巻くなど、懸命のリハビリ効果もあって幕下3場所、十両1場所のわずか4場所で幕内に復帰。さらに、3場所連続して三賞を受賞し、3場所目には関脇に返り咲いた。

「あのとき、師匠にあの言葉をかけられなかったらどうなっていたか。幕内に返り咲き、敢闘賞をもらったときのうれしさは言葉に言い表せなかった」

と琴風は後日、そのときのことを振り返って話している。苦境に陥って初めて胸に突き刺さる言葉もある。琴風が辛い経験をバネに大関に昇進するのはこの1年半後のことだ。

月刊『相撲』平成23年4月号掲載

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