陸上男子短距離の山縣亮太(セイコー)が2月22日にオンライン記者会見を行い、昨年10月に右ヒザの手術をしていたことと、2024年のパリ・オリンピックを目指す意向を明かした。
山縣は昨年6月の布勢スプリントで100m9秒95と日本記録を更新。しかし3回目のオリンピック出場となった東京オリンピックでは、100mで予選敗退、4×100mRの決勝ではバトンがつながらず、2大会連続のメダル獲得はならなかった。「日本記録を出すことができて、非常に充実していましたが、オリンピックでは自分の思うような結果を出すことができず、非常に悔しい思いをした、浮き沈みが激しい1年だった」と振り返る。
右ヒザに違和感が生じたのは東京オリンピックの1カ月後だった。膝蓋腱炎という診断は2020年7月に受けていたといい、「練習をするときは痛くない。体重が増えたり、出力が上がったりすると不安を抱えることが時々あった。今回はそこも含めてしっかりリセットしようと手術に踏み切った次第です。常に大きなトラブルを抱えながらやっていたわけではないのですが、高負荷のトレーニングをするといつ疼き出すか分からないので、そういうリスクは排除しようと」と手術に踏み切った経緯を明かした。
膝蓋腱炎はトップアスリートにとって稀な症例であり、今年で30歳を迎える山縣にとって、「ケガの治癒という意味ではこれまでより時間がかかる」「克服することは容易ではない」と率直に認めた。それでも「引退の可能性を考えていたら手術は選択しなかった」と言い切り、「僕が克服できて自己ベストを出すところまで結びつけることができたら、後進(の選手たち)に残せる素晴らしいものになるだろうなと思いながらトレーニングしています」と前向きにとらえる。現在、経過は順調で「肌感覚で6割、7割」の段階という。
東京五輪では、男子100mの金メダリスト、マルセル・ジェイコブス(イタリア)やアジア記録(9秒83)を出した蘇炳添(中国)らと並んだときに「自分の体がすごく小さく感じてしまった」という山縣。「東京オリンピックで戦ってみて、改めて自分もフィジカル強化という面で体を万全の状態にしなければ、負荷に耐えられない。オリンピックが終わって、パリを目指す上では、しっかり時間をかけて治すということが必要だと感じました」。2022年にはオレゴン世界選手権、杭州アジア大会が控え、6月の日本選手権が選考会の舞台となるが、現時点では競技会への出場は、日本選手権も含めて未定。24年のパリ・オリンピックを見据え、しっかり土台を作り上げた上でフィジカル強化を進め、「中長期的なプランで目標設定」していく考えだ。
「走る哲学者」と言われる山縣がパリを目指すと決めたのは、東京オリンピックが終わった直後。悔しさ以上に、理想の走りを追及していきたいという思いが改めて沸き上がったからだ。
「やりきれなかったし、まだまだできるなという思いもあったし、悔しいから頑張るというのも、もちろんあるんですけど、もう一つ、自分のなかにあるのは、ケガを繰り返していて、東京の時点で(ケガが)あったわけじゃないですが、結果を出すというところで思うようにいきませんでした。ピーキング、精神的なところ……。東京が終わった時点で感じていたのはフィジカル的な弱さだったんですが、まだまだこんなに分からないところがあるんだと。走っていくなかで、それを深く追求したいというのは、悔しさとは別に自分のなかにありました」
パリでの目標を「自己ベストと9秒8台でメダル獲得」と明言し、パリ・オリンピックまでの2年半、自身4回目のオリンピックに向けて、自らが選んだ進むべき道を進んでいく。