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2022-02-27

アントニオ猪木vs坂口征二、その弟子も30分フルタイムの激闘を繰り広げた広島県立体育館…新日本プロレス歴史街道50年(19)【週刊プロレス】

アントニオ猪木vs坂口征二

プロレスは全国を巡業することから、昭和の時代には札幌中島スポーツセンター、宮城県スポーツセンター(仙台)、愛知県体育館、大阪府立体育会館、広島県立体育館、高松市民部文化センター、福岡スポーツセンター、奥武山体育館(那覇)といった具合に、各地にビッグマッチを開催する定番会場があった。TVで生中継され、タイトルマッチはもちろん、特別試合やリーグ戦では注目カードが組まれ、名勝負も生まれた。今回は中国地方の定番会場、広島県立体育館をクローズアップする。
     
 新日本プロレスは初めて広島県立体育館に進出したのは旗揚げ戦から5カ月後の1972年8月14日。坂口征二が合流するまで、もちろんノーTVだった。全7試合が組まれ、メイン以外はすべてシングルマッチ。藤波辰巳(当時)が木原真一相手に第1試合を務め、メインはアントニオ猪木、柴田勝久組vsボビー・キャッシュ、エニー・ラスター組。猪木組が勝利したが、3本勝負だったことが時代を物語っている。

 早くもその1カ月半後の同年10月9日に2度目の進出。この時は8試合が組まれ、メインでは猪木が5日前にカール・ゴッチから奪取した実力世界一のベルトをレッド・ピンパネール相手に初防衛を果たしているほか、カール・ゴッチもシリーズ全戦に出場、広島大会ではプリンス・クマリ相手に勝利している。

『ワールドプロレスリング』で同会場から新日本が初めて中継されたのは翌1973年9月28日。猪木の代名詞ともいうべき“闘魂”が初めて冠されたシリーズ。しかしメインに登場したのは坂口で、猪木のライバルであったジョニー・バレンタインとの一騎打ちで勝利。猪木はエル・サントを軽く一蹴している。

 広島県立体育館でおこなわれた初の注目カードは『第1回ワールド・リーグ戦』での猪木vs坂口(1974年4月26日)。ちょうど“昭和の巌流島”として大きな話題となった猪木vsストロング小林から約1か月後。キラー・カール・クラップを加えた三つ巴でシ列な優勝争いを繰り広げていたなかでの初の一騎打ち。さらに同門での日本人大物対決の要素が加わったのに加え、坂口が「10分」と言えば猪木が「片手で3分」とやり返した因縁もある。その後も両者は何度となく闘っている両雄が、この時を超えるシチュエーションでの対戦はない。柔vs剛、結果は30分フルタイムドローだった。

 この時も含めて12度のシングルマッチをおこなってきたが、坂口が勝ったのは10度目の対戦の1度のみ(1986年5月30日、第4回IWGPリーグ戦公式戦)。場所も同じ広島県立体育館だった。

 そこから8年半後、広島県立体育館でまたしても公式リーグ戦で30分フルタイムドローを繰り広げた2人がいた。藤波とキラー・カーンだ。

『第5回MSGリーグ戦』終盤に組まれた一戦。第1回カール・ゴッチ杯決勝の再戦と言われて注目された一戦。当時、まだ維新軍は結成されておらず、純粋に互いのパワーとテクニックをぶつけ合う激闘となった。

 猪木の一番弟子である藤波とと坂口について新日本に移籍してきたカーン。代理戦争ともいうべき一戦も互いに相譲らず30分を闘い抜いたところも、新日本らしさが感じられる。
(つづく)

※広島県立体育館(旧)…1962年、広島市中央公園、旧広島市民球場の北側に開館。さまざまな体育競技会のほか、社会・文化事業が催されたが1990年に閉館。現在は同所で広島グリーンアリーナ(広島県立総合体育館)として生まれ変わり、プロレスも開催されている。

橋爪哲也

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