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2022-03-08

【泣き笑いどすこい劇場】第7回「母」その1――後編

平成21年、天国から見てもらいたいと母の命日に挙式した雅山

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平成23(2011)年の東日本大震災では多くの人が傷つき、苦しみのどん底に突き落とされました。テレビなどで被災地の惨状が映し出されるたびに胸が詰まり、言葉も出ませんでしたが、こんなときこそ、ひと際身近に感じられるのが人の愛、人情です。その極みが母の愛、と言っていいでしょう。平成23年5月の技量審査場所初日の5月8日は母の日でした。女性っ気の乏しい世界に住んでいる力士たちですが、意外に多いのが母親っ子です。そんな力士たちとの母のエピソードを紹介しましょう。

思い出の廻しを締め

平成12(2000)年夏場所千秋楽、雅山の母・竹内まさみさんは両国国技館に応援に駆け付けた。母の思いが通じたのか、大関貴ノ浪を破った雅山は、大関昇進を決定的にした。

それから7年後の平成19年6月7日、そのまさみさんが静岡県三島市内の病院で脳内出血のため亡くなった。66歳だった。喪主は長男の雅山が務めた。その直後の名古屋場所、雅山は大関から転落し、再起を目指して再出場した平成14年春場所に、

「若竹のように、また一からグングン伸びてほしい」

という思いを込め、両親から贈られた若竹色の廻しを締めて土俵に上がり、その様子を花道の奥で付け人が掲げるまさみさんの遺影が見守った。

この廻し、平成16年10月、父親の哲士さんが亡くなる直前まで使用していたものだった。

「オヤジが亡くなったときは、よしっ、この悲しみを乗り越えてやろう、と思って頑張ったけど、今度は、正直言ってきつい。でも、この思い出の廻しを締めることによって、自分自身も勇気付けられるし、いい相撲を取ることがおふくろの供養になると思います」

と雅山は話した。時間いっぱいになると花道の奥から付け人がまさみさんの遺影を掲げる行為は続いた。

母の命日に披露宴

この雅山とまさみさんの熱い母子物語には続編がある。まさみさんの三回忌にあたる平成21年6月7日、雅山は都内のホテルで450人を招き、結婚披露宴を開いた。31歳だった。わざわざ命日に披露宴を開いたところに、元気なときに結婚式を見せられなかった雅山の思いが見え隠れしている。

お相手は福岡県久留米市出身で、6歳年下の侑加さん。平成19年九州場所前、稽古見物に来たのがきっかけで2人の交際が始まり、すでに前年3月、侑加さんの大学卒業(西南学院大)に合わせて雅山がプロポーズ。9月9日には都内の区役所に婚姻届を提出し、九州場所千秋楽翌日の11月24日にはマスコミ向けの結婚報告会を開き、

「彼女は証券会社に就職が内定していたけど、入社先が自分になった。株式会社雅山です」

と雅山はノロけて見せている。

侑加さんは、披露宴のお色直しでまさみさんの形見の着物を着て登場。終始、笑顔を振りまいていた雅山も、このときだけは、

「母も、どこかで見て喜んでいると思います」

と目を潤ませた。

月刊『相撲』平成23年5月号掲載

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