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2022-02-22

【泣き笑いどすこい劇場】第6回「苦境に打ち勝つ!」その3

貴乃花を一気に寄り切り12回目の優勝を決めた武蔵丸。あの“鬼の形相”の一番で終わった屈辱を晴らした瞬間だった

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平成23(2011)年3月、日本列島に未曾有の災難が降りかかった。死者、行方不明者が1万人超という東日本大震災の惨状を目の当たりにすると、ただ息を飲み、手を合わせ、涙するしかない。角度を変えてみると、スケールが違うが、八百長問題に苦悶する大相撲界も同じようにのたうち、もがいているように見える。でも、こんなことでくたばってたまるか。これまでも日本人は試練に遭遇し、追い込まれるたびに雄々しく立ちあがり、以前にも勝る大きな花を咲かせてきた。この苦難は、さらに飛躍し、大きくなるための肥やしだ。そう信じ、こうエールを送って力士たちが苦境を切り抜けたエピソードを紹介しよう。がんばれ東北! 立ち上がれ大相撲!

栄光の裏側にある敗者の屈辱

心に念じ続けることも、盛り返す大事な要素になる。平成13(2001)年夏場所は横綱貴乃花の場所だった。

14日目の武双山戦(現藤島親方)で右ヒザを亜脱臼、合わせて半月板や靭帯などを損傷する大ケガを負いながら、優勝決定戦にもつれこんだ千秋楽、“鬼の形相”で優勝して日本中を熱狂させ、「鬼」というニックネームでは先輩に当たる伯父の先代二子山(元横綱初代若乃花)も、

「あの顔にはびっくりした」

と脱帽している。

この大ヒーローの引き立て役を演じたのが優勝決定戦で貴乃花に気迫負けし、力を出し切れないまま敗れた横綱武蔵丸(現武蔵川親方)だった。愛弟子のふがいない相撲に怒った師匠の武蔵川親方(元横綱三重ノ海)は、

「土俵に上がったら、情けをかけるんじゃない」

と武蔵丸の頭にゲンコツを見舞い、場所終了後の1週間は休養と決まっているが、これを無視して千秋楽翌日から稽古を命じた。武蔵丸にとってこの場所は、逆に生涯忘れられない屈辱の場所になった。

それから8場所後の平成14年秋場所、ようやく貴乃花がケガを押して出場。千秋楽、武蔵丸と12勝2敗同士の相星決戦となった。世間は貴乃花の奇跡の復活優勝を期待する声で満ちあふれていたが、武蔵丸にとっては待ちに待った雪辱のチャンス到来だった。

「いつかもう一度、元気な貴乃花とやりたい。そう思って、貴乃花のケガが回復することを、負けた翌日から稽古しながらじっと祈っていたんだ。あのあと、3回も優勝したけど、良かったな、おめでとう、とは誰も言ってくれなかったもの」

と武蔵丸は後日、この一番に懸ける思いを明かしている。借りを返したくてうずうずしていたのだ。

勝負は一瞬だった。まるで溜まりに溜まったうっ憤を晴らすように、武蔵丸は強烈なモロ手突きからモロ差しになると、ウムを言わせず貴乃花を土俵外に運び去った。快勝だった。貴乃花ファンの悲鳴とため息の中を引き揚げて来た武蔵丸は、こう言ってようやく胸を張った。

「うれしくって泣きたいけど、涙が出ない。意地の優勝? ウン、そうだな。オレのことを弱いって言った人たちに(この快勝を)見せることができたんだから。これまでの12回の優勝の中で一番うれしい優勝だヨ」

これで燃え尽きたのか。このあと、武蔵丸はケガに苦しみ、二度と賜盃を抱かずに引退した。

月刊『相撲』平成23年4月号掲載

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