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2022-02-18

【連載 名力士ライバル列伝】打倒・双葉山への策 われ、大横綱とかく戦えり――安藝ノ海前編

天性のスピードと、リズム感あふれる激しい相撲ぶりが注目を集めた新入幕のころの安藝ノ海

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戦前・戦中の相撲界において、
何よりの大目標が無敵・双葉山を倒すことだった。
その栄光を目指すことで強くなり、横綱の地位もつかんだ力士たちは、
どのように大横綱へ挑んでいったのだろうか。
彼らが残したコメントとともに振り返ってみたい。

歴史的勝利挙げた“秘密兵器”

昭和14(1939)年春場所4日目、日付にして1月15日は、大相撲の歴史に燦然と輝く一日だ。無敵・双葉山の3年越しの連勝記録が「69」で途絶えた日。止めた男は、名門・出羽海部屋の新鋭・安藝ノ海だった。

初顔合わせの大横綱を渾身の左外掛けで倒した瞬間、日曜日で超満員の両国国技館内は轟音絶叫の嵐。無数の座布団やタバコ盆が飛び交い、「安藝ノ海、うれし涙で泣いております! 布団が飛んでいます!」とラジオのアナウンサーも声を枯らした。一躍英雄となった24歳が感激に浸りながら語る。

「勝てないことはないと思っていた。全力を尽くして倒せないことはないと」

参謀役である、早大卒のインテリ力士・関脇笠置山を中心に、一門を挙げて打倒・双葉の策を練りに練ってきた出羽海勢にとって、安藝ノ海はまさしく“秘密兵器の中の秘密兵器”だった。

入幕は昭和13年春場所とわずか1年前。本場所はもちろん、連合稽古でも一度も顔を合わせたことがない。その年夏の満州・北支(中国北部)巡業中に一度、「一丁来い」と声を掛けられたことがあったが、激しい腹痛に見舞われて断った。結局、それは虫垂炎で長期入院を強いられることにはなったのだが、おかげでその強さを一切肌で感じることなく、この世紀の一戦へ臨むことができたのだ。さらに双葉山が、その中国巡業中に罹患したアメーバ赤痢からの回復段階だったという追い風も加わった。(続く)

対戦成績=双葉山9勝―1勝安藝ノ海

※コメントは戦前の雑誌『野球界』、昭和44年の月刊『相撲』増刊「双葉山追悼号」などによる

『名力士風雲録』第25号 羽黒山 安藝ノ海 照國 前田山 掲載

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