close

2022-03-01

【泣き笑いどすこい劇場】第7回「母」その1――前編

雅山の大関昇進伝達式の日、祝福に駆け付けた母・まさみさん

全ての画像を見る
平成23(2011)年の東日本大震災では多くの人が傷つき、苦しみのどん底に突き落とされました。テレビなどで被災地の惨状が映し出されるたびに胸が詰まり、言葉も出ませんでしたが、こんなときこそ、ひと際身近に感じられるのが人の愛、人情です。その極みが母の愛、と言っていいでしょう。平成23年5月の技量審査場所初日の5月8日は母の日でした。女性っ気の乏しい世界に住んでいる力士たちですが、意外に多いのが母親っ子です。そんな力士たちとの母のエピソードを紹介しましょう。

通じた母の思い

寄り切って勝利を願ってゲンを担いだり、思いを込めたりする力士は多いが、母親だってそうしたくなる気持ちでは負けない。

平成12(2000)年夏場所千秋楽、当時22歳だった関脇雅山は大関貴ノ浪を左四つから寄り切って3場所連続二ケタ勝ち星となる11勝目を挙げ、場所後の理事会で異例の“挙手採決”の結果、7対3で大関に昇進した。初土俵からわずか12場所目。羽黒山、豊山に並ぶ史上1位タイのスピード昇進だった。

この大関昇進を決定的にした千秋楽、母親の竹内まさみさん(当時59歳)は両国国技館に応援に駆け付けると、新十両でいきなり優勝した平成10年九州場所後、一人息子の雅山が初めてもらった給料で買ってプレゼントした黒色のハンドバッグを抱き、2場所連続優勝して新入幕を決めた翌平成11年初場所後に贈られたという指輪をギュッと握り締めて声援を送った。そして、雅山が貴ノ浪を破った瞬間、両手を合わせ、大粒の涙をこぼした。母の思いが通じた瞬間だった。

たった8場所という短い大関生活だったが、雅山は大関昇進を知らせる協会からの使者にこう“口上”を述べている。

「大関の名を汚さぬように初心を忘れず、相撲道に精進、努力します」(続く)

月刊『相撲』平成23年5月号掲載

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事