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2022-03-11

【連載 名力士ライバル列伝】打倒・双葉山への策 われ、大横綱とかく戦えり――前田山後編

英気に満ちた荒々しい相撲で魅せた第39代横綱前田山

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戦前・戦中の相撲界において、
何よりの大目標が無敵・双葉山を倒すことだった。
その栄光を目指すことで強くなり、横綱の地位もつかんだ力士たちは、
どのように大横綱へ挑んでいったのだろうか。
彼らが残したコメントとともに振り返ってみたい。

張らんと思って張ったことはない

昭和16(1941)年春場所13日目、6度目の挑戦で挙げた初勝利は、まさに前田山、一世一代の名勝負だ。

この日は立ち合い右から入り、左を差せないと見るや、すぐに離れて上突っ張りを激しく繰り出した。モロ差しを果たし、左を巻き替えさせて左四つに。そして、それまでは強引に吊り上げようとして逆転を許す惜敗が多かったが、この日は左下手投げを打つと見せて左下手の方向へ横吊りに。最後は控えに座る男女ノ川の上へと櫓投げのように吊り落とした。何といっても一番の勝因は、これまで必ず取られていた左上手を、一度も許さなかったことにある。

前田山の“張り手”は、若手のころから常に批判の的だった。それに対し前田山は「上突っ張りが相手のすくめた顔に当たるだけ。張らんと思って張ったことはない」と弁明してきた。それが、この場所特に論争を巻き起こすことになった要因は2つある。

一つは前日、突っ張りで脳震とう気味となった羽黒山が、「いきなり引っぱたかれて目がくらんだ。あれじゃケンカだ」と前田山を批判したこと。そしてもう一つが映像のないラジオ中継だ。

「前田山、盛んに張っております! 張っております!」

という実況が、神様の頬をめがけて凄まじく平手打ちする悪役のイメージを喚起させたわけだ。しかし、前田山を擁護したのは当の敗れた双葉山だった。

「アゴ? 別に痛くない。張られた覚えはないよ」

最後の対戦となる翌夏場所も、双葉山の踏み越しを巡って30分の大物言いに。取り直しは若いころの猛稽古のごとく両者激しく突き合い、突き出しで横綱が勝利した。

「1回で勝負がついたのは本当に数えるほど。一番一番、記憶に残る相撲ばかり」

双葉山との一騎打ちを振り返るたびに、闘将の胸の内には熱い思いが込み上げてきたに違いない。

対戦成績=双葉山7勝―1勝前田山

※コメントは戦前の雑誌『野球界』、昭和44年の月刊『相撲』増刊「双葉山追悼号」などによる

『名力士風雲録』第25号 羽黒山 安藝ノ海 照國 前田山 掲載

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