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2022-04-01

変則ダブルヘッダーで藤波辰巳vs長州力の“名勝負数え唄”…新日本プロレス歴史街道50年(35)【週刊プロレス】

1984年7・5大阪の藤波辰巳vs長州力

 最近では事前にカード発表されて1日2試合以上闘うことも珍しくなくなった。しかし昭和時代は試合前に戦闘不能になるようなハプニングが起こって緊急出場しない限り、1日2試合がおこなわれることは少なかった。

 せいぜいリーグ戦で複数選手が同点2位となり、優勝戦進出者を決めなければならない状況になった場合に組まれた程度。そんな中、変則ダブルヘッダーをおこなったのが藤波辰巳(当時)と長州力。後日、ベルトを懸けての一騎打ち組まれていたにもかかわらず、互いにライバル意識を抑えきれず実現した一戦だった。

 82年10月8日、メキシコから凱旋帰国した長州力の“噛ませ犬事件”で勃発した藤波辰巳との抗争。WWFインターナショナルヘビー級王座をめぐっての連日の対決は熱を帯び、“名勝負数え唄”と呼ばれるようになっていった。翌83年4月に長州が同タイトルを奪取、同年8月に藤波が奪回に成功した後も、両者の対戦は続いた。

 しかし84年2月、藤原喜明が入場する長州を襲撃する“雪の札幌テロ事件”を機に、長州のターゲットが次第にアントニオ猪木に向いたが、藤波とは連日タッグで対戦しており最終決着戦へ向けての機運は高まるものの、一向にシングル対決が組まれることはなかった。

 ようやく決まったのが、「サマーファイト・シリーズ」中の札幌大会(同年7月20日)。しかし、そこまで待てないとばかり、7月5日の大阪大会でノンタイトルで激突することに。ただ、すでに同大会ではカネックが藤波のベルトに挑戦することが決まっていた。

 初来日時は敵前逃亡事件もあったが、藤波とはジュニアヘビー級時代からライバルだったカネック。互いにヘビー級に転向して初のシングル対決、シリーズ中盤の目玉カードだったこともあって、事前発表されていたタイトルマッチをそのまま敢行。そのあとに、長州とノンタイトル戦をおこなうと追加発表された。

 長州も第7試合でタッグマッチに出場しているが、藤波はインターバルがあったとはいえ連戦。しかもタイトルマッチ直後とあって、大きなハンディを背負っての闘いとなった。

 カネックとはバックドロップを決めて10分余りで勝利。その後、10分のインターバルを挟んで長州と対戦。互いに感情むき出しの闘いとなり、10分足らずで長州が反則暴走。決着は2週間後の札幌決戦に先送りになった。

 7・20札幌でおこなわれた一騎打ちは、リング下に姿を見せた猪木に気を取られた長州がフォール負け。その後、パキスタン遠征を経て、「ブラディファイト・シリーズ」終了後の9月、新日本プロレスを離脱。

 結果的に新日本初の変則ダブルヘッダーは、“名勝負数え唄”終焉へ向けて大きく舵を切る一戦だった。
(つづく)

橋爪哲也

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