平成23(2011)年の東日本大震災では多くの人が傷つき、苦しみのどん底に突き落とされました。テレビなどで被災地の惨状が映し出されるたびに胸が詰まり、言葉も出ませんでしたが、こんなときこそ、ひと際身近に感じられるのが人の愛、人情です。その極みが母の愛、と言っていいでしょう。平成23年5月の技量審査場所初日の5月8日は母の日でした。女性っ気の乏しい世界に住んでいる力士たちですが、意外に多いのが母親っ子です。そんな力士たちとの母のエピソードを紹介しましょう。
栃東の親離れ宣言ときには、邪険にするのも親孝行だ。入門すると肉親は離れ離れ、というのが一般のかたちだが、実家が相撲部屋という二世力士たちにとっては入門しても両親はそれまでと同じ屋根の下。それだけにどうしても甘えが芽生え、修行の妨げになる。
平成6(1994)年九州場所、先代玉ノ井の次男、栃東(現玉ノ井親方、入門したときの四股名は本名の志賀)が父のもとに入門して初土俵を踏んだ。いざ、明日から力士修行がスタート、というとき、栃東は心配しておろおろする母親の千夏さんにこう宣言した。
「早く強くなって、親方と一緒のテーブルで食事ができるように頑張る。どうかそれまでボクのことには構わないで」
たとえ親子でも師匠と弟子という立場に変われば、一人前の関取になるまで同じテーブルでちゃんこを囲むことはできない。それは入門する栃東の覚悟であり、実質的な親離れ宣言だった。まだ子供と思っていた息子に、突然、こう言われたときの心境を、千夏さんはのちにこう話している。
「そりゃあ、寂しい気持ちもありましたよ。他の弟子の手前もあって、きっと本人も気を使っていたんでしょうね。マネージャー(長男の和昭さん)が、本人がああ言うんだから、知らん顔をしていたほうがいいよって言うものだから、それからはできるだけ見ないようにしていました」
入門から1年半後の平成8年夏場所、栃東は初土俵からわずか9場所という超スピード出世で十両に昇進した。晴れて師匠と同じ食卓を囲める身になったのだ。その初日、前進山を突き落として関取初白星を挙げ、足音も軽く戻ってきた息子を千夏さんは誰に気兼ねすることもなく、満面の笑顔で出迎えた。
月刊『相撲』平成23年5月号掲載