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2022-04-08

【連載 名力士ライバル列伝】打倒・双葉山への策 われ、大横綱とかく戦えり――照國編

錦絵のような風貌で、双葉山に匹敵する大人気を誇った照國

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戦前・戦中の相撲界において、
何よりの大目標が無敵・双葉山を倒すことだった。
その栄光を目指すことで強くなり、横綱の地位もつかんだ力士たちは、
どのように大横綱へ挑んでいったのだろうか。
彼らが残したコメントとともに振り返ってみたい。

モロ差し戦法で勝ち越し

昨日の友は今日の敵――。東西制の戦力均衡のため、昭和17(1942)年夏場所から前田山ら高砂勢と伊勢ケ濱勢の入れ替えが行われ、照國は、それまで同じ戦ってきた双葉山ら立浪勢と初めて合いまみえることになった。そして14日目、照國は、この場所10枚目の掲額を果たす双葉山を初顔合わせで破る殊勲の星を挙げ、館内を震撼させたのだ。

同軍のころ、普段から双葉山、羽黒山らと稽古に励んでいたため、互いに手の内は分かっていたといえる。それでも照國のアンコ型の体と取り口は相当、厄介なものだったようだ。

「モチのように柔らかで、ベタベタと引っ付いてくるから、力の入れどころがない。それに腰が重いし出足が早いとくるんだから……」

とは親友でもあった羽黒山。さらに、出羽海勢に加わったことによるメリットもあった。

「私が勝てたのは秀の山さん(笠置山)のおかげ。参謀格で全部教えてくれる」

と、のちに照國は回想している。

照國の武器は、低い立ち合いからの差し身の良さ。この夏場所の対決も時間いっぱい直前の仕切りで猛然と立つと、素早く右を差し込み、左も前ミツを取った。双葉山は右を巻き返してこじ入れ、ここぞとばかりに前進してきたが、照國は柔らかい体と低い重心を生かし、その力を利用して土俵際、鮮やかな右下手投げ。横綱の体はスローモーションで裏返しになった。何より、四つ相撲で、双葉山有利の形で堂々と破ったことに「照國時代」の到来を予感させた。参謀・笠置山はこう評する。

「双葉関としてはあまりに自己の天性の特質に頼り過ぎていた。照國関のごとき巨大な体躯の落ち主にモロ差しになられたところに大きな失敗があった。それにしても、照國関は昨日(13日目)も名寄岩関と、不利な状態で最後に勝利を得た落ち着きに対して、今日は攻撃一方の、相反する立場を立派に生かし、まさに円熟味が出てきたと思う」

この勝利が場所後、弱冠23歳にしての横綱昇進の決定打となった照國。双葉山からプレゼントされた真新しい三つ揃いの化粧廻しで臨んだ、新横綱の昭和18年春場所でも、左四つに組んでの水入りの大激闘。そして、19年にはモロ差しからの巨腹を生かした寄りで2連勝を果たした。ピークがややずれたとはいえ、巨星・双葉に通算3勝2敗。ただ、世情が相撲どころではなく、大きく扱われることがなかったのは惜しい。

対戦成績=照國3勝―2勝双葉山

※コメントは戦前の雑誌『野球界』、昭和44年の月刊『相撲』増刊「双葉山追悼号」などによる

『名力士風雲録』第25号 羽黒山 安藝ノ海 照國 前田山 掲載

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