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2022-08-30

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第11回「引退を決意した瞬間」その1

引き際は潔くすっぱりと。勝負の美学を貫き、引退の会見に臨んだ柏戸

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平成23(2011)年名古屋場所10日目、ついに大関魁皇が引退しました。力士なら、いや、広い意味では人間おしなべて訪れる瞬間です。その胸中や、きっと十人十色。いや、百人百色。魁皇も、前日の9日目の打ち出し後に引退表明してもおかしくないところでしたが、あえて一日順延しました。おそらく23年余りの現役生活の重さを自分の中で計り、納得させる時間が欲しかったのに違いありません。力士にとって、引退は人生の一大イベント。過去の力士たちはどうやって決意し、どんな表情をみせたか。今回は引退にまつわるエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

完敗に潔く

史上最多の32回優勝の大鵬とともに柏鵬時代を築いた横綱柏戸が引退したのは昭和44(1969)年名古屋場所3日目。最後の相手は入幕3場所目、初顔の東前頭3枚目の朝登で、ノド輪攻勢になにもできずに土俵を割る、絵に描いたような完敗だった。ライバル大鵬より2年も早い引退で、その胸中は想像以上に複雑だったはずだ。

しかし、翌朝、宿舎の名古屋市西区内にある善光寺別院で記者会見した柏戸は、男らしい豪快さを売り物にした人気横綱ならではのサバサバした口調でこう言った。

「昨日、十両時代に稽古をつけ、コロコロ転がしていたアンコに一方的に負けて、こりゃあダメだ、と思った。まあ、こっちの出足がまるでなかったこともあるけど、親方をはじめ、周囲はまだまだやれると言うけど、(こんな相撲を取るようでは)もう限界。これですっきりしたという感じです」

負けた相手や、負けっぷりが、どうにも気に入らなかったのだ。同じような名人肌の力士は他にもいる。初土俵から引退するまでの23年間、ただの一度も休場せず、引退してから四半世紀も経つのに、いまだに史上1位として1630回の通算連続出場記録を作った鉄人の青葉城(元関脇)だ。
 
引退したのは西十両11枚目だった昭和61年名古屋場所11日目。明大相撲部から幕下付け出しでプロに転じ、3場所目だった幕下の綛田(のち関脇栃乃和歌、現春日野親方)に一方的に敗れたあと、こう言ってその日のうちに土俵に別れを告げた。

「あんなアンちゃんに負けるようじゃ、おしまいだ」

青葉城は入門する前も5年間、一日も休まずに新聞配達のアルバイトを続けている。それは実に28年ぶりにとった青葉城の休日でもあった。 

月刊『相撲』平成23年9月号掲載

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