平成23(2011)年名古屋場所10日目、ついに大関魁皇が引退しました。力士なら、いや、広い意味では人間おしなべて訪れる瞬間です。その胸中や、きっと十人十色。いや、百人百色。魁皇も、前日の9日目の打ち出し後に引退表明してもおかしくないところでしたが、あえて一日順延しました。おそらく23年余りの現役生活の重さを自分の中で計り、納得させる時間が欲しかったのに違いありません。力士にとって、引退は人生の一大イベント。過去の力士たちはどうやって決意し、どんな表情をみせたか。今回は引退にまつわるエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。
大横綱の踏ん張り前回、柏戸を取り上げたのだから、大鵬にも触れないと不公平だ。
大鵬の最後の相撲は昭和46(1971)年夏場所5日目、相手は新鋭の西小結貴ノ花(初代)だった。無敵を誇った大鵬も21歳の貴ノ花の執拗でしぶとい相撲に手を焼き、最後は無様に尻から落ちた。
偉大な一門の横綱を破った貴ノ花は、着替えもそこそこにクルマに乗って引き揚げる大鵬のところに駆け寄り、
「おかげさんで。ありがとうございました」
と頭を下げると、大鵬は、
「おおう。強くなったな」
と笑顔で大きくうなずいた。以前はこんな先輩後輩のケジメがあちこちに息づいていたのだ。
大鵬が所属する二所ノ関部屋2階の大広間で引退の記者会見を開いたのは翌6日目の午後6時30分。そこで引退を決意したいきさつを次のように明かした。
「2つになる(長女)の喜美に、お父さん、相撲を辞めてもいいかい、と聞いたところ、ウン、ウンとうなずいたので、引退することを決めました」
数々の大記録を打ち立てた孤高の横綱も、自分一人ではなかなか踏ん切りがつけられなかったのかもしれない。
月刊『相撲』平成23年9月号掲載