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2022-10-14

【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第3回「背中」その1

不知火型の土俵入りを披露する太刀山

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目は口よりモノを言い、といいますが、背中もかなり雄弁です。
令和元年夏場所、残念ながら右ヒザを痛めて休場を繰り返した新大関の貴景勝も、この場所から埼玉栄高の3年後輩で、昭和の大横綱の大鵬の孫、納谷が付け人についたことについて場所前、こんなことを話していました。
「背中で見せられるように一生懸命やる。(自分が)先輩たちに背中で教えてもらったことをやっていけたらいい」
つまり、力士たちは背中でいろんなことをいっぱい会話しているんですね。
背中は大事。それだけにさまざまなことが起こります。そんな背中が引き越したハプニングの数々です。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

背中に100円札

人を褒めるとき、

「よしよし、よくやった」
 
と背中をポンポンと叩くようになったのはいつの頃からの風習だろうか。まずは有名なエピソードから。連勝は力士の勲章のひとつだ。平成では白鵬の63連勝、昭和では双葉山の69連勝、大正では太刀山の56連勝があまりにも有名だ。太刀山はこの56連勝の直前にも43連勝しており、間にはさんだ西ノ海戦の負けが逆なら100連勝していた、と当時の相撲ファンを悔しがらせた。
 
この56連勝を止めたのが新小結の栃木山。のちの横綱で、3代前の春日野部屋の総帥だ。たった一突き半で相手をしとめるところから“四十五日の鉄砲”と恐れられた大横綱の連勝を小兵の新鋭がストップしたのだから、館内はたいへんな騒ぎになった。花道を引き揚げる栃木山の背中を叩くファンは引きも切らず、支度部屋に戻ってみると、なんと汗まみれの背中に100円札が、それも2枚、貼りついていたという。現在に換算すると100円は10万円にも相当するというから、豪気なファンがいたものだ。
 
いや、これぐらいで驚いていてはいけない。新聞社は号外を出し、この夜、栃木山がいただいたご祝儀が1万2千円にも上った。現在に換算してざっと12億円だ。栃木山はこれを仲間とともにたった3日間できれいさっぱり使い果たしたというから、どんな豪遊をしたのだろうか。いずれにしても、当時のタニマチも力士も、ケタはずれだったのは確かなようだ。

月刊『相撲』令和元年6月号掲載

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