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2022-10-04

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第11回「引退を決意した瞬間」その3

新師匠となった兄弟子の九重親方(元千代の富士)と引退会見に臨んだ北勝海には安堵感が漂っていた

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平成23(2011)年名古屋場所10日目、ついに大関魁皇が引退しました。力士なら、いや、広い意味では人間おしなべて訪れる瞬間です。その胸中や、きっと十人十色。いや、百人百色。魁皇も、前日の9日目の打ち出し後に引退表明してもおかしくないところでしたが、あえて一日順延しました。おそらく23年余りの現役生活の重さを自分の中で計り、納得させる時間が欲しかったのに違いありません。力士にとって、引退は人生の一大イベント。過去の力士たちはどうやって決意し、どんな表情をみせたか。今回は引退にまつわるエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

忸怩たる思い

引退を決断するまで、ほとんどの力士が苦しみ、悩む。それも当然だ。華やかだった全盛期を過ぎ、身も心もボロボロの状態に追い込まれて、ようやくそういう場面に直面するのだから。

昭和62(1987)年夏場所後、北勝海(現八角理事長)が第61代の横綱に昇進したとき、師匠の九重親方(元横綱北の富士、現NHK相撲解説者)に、

「おい、引退するときはきれいに辞めような」

と耳打ちされた。男の約束だ。

しかし、最高峰の横綱ともなると、かげがえのない協会の看板で、同時に部屋の米びつだけに、自分の事情だけではなかなか引退できない。横綱に昇進して6年目の平成4(1992)年春場所、持病の腰痛が再発し、2場所連続休場していた北勝海は密かに進退を懸けて臨んだが、初日、2日目とまったく自分の相撲を取れずに連敗した。いよいよ引退の潮どきである。

「もはやこれまで」

と心に決めた北勝海は、昇進したときの約束もあり、2日目の打ち出し後、元横綱千代の富士の陣幕親方と名跡変更して「陣幕」となったばかりの先代九重や、新師匠の九重親方に引退を願い出ると、なんと「待った」がかかった。この直前の初場所、もう一人の横綱旭富士(現伊勢ケ濱親方)が引退。北勝海まで引退すると横綱がいなくなってしまうからだった。

北勝海は、やむなく3日目から引退ではなく、休場を選択。心に仮面をかぶせて場所後の春巡業にも帯同したが、どう頑張っても体力的にも、精神的にも限界。後日、北勝海はこのときの心境を、

「四股一つ踏むのも、精神的にきつい感じ。もう1場所、休場して次の名古屋場所にかけ懸けろ、と周囲に言われたけど、そうしたら調子はもっと悪くなると思った。体以上に気力が持たなかった」

と明かしている。

そのため、夏場所直前の5月8日、陣幕親方が腹をくくって当時の出羽海理事長(元横綱佐田の山)にすべてを打ち明け、急転直下、北勝海の引退が決定した。午前中、土俵に降りて稽古し、午後に引退会見する、という異例の展開だったが、ようやく辞められない苦しみから解放された北勝海はしみじみとこうもらした。

「辞めた途端、すべてがいい思い出になりました」

月刊『相撲』平成23年9月号掲載

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