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2022-11-01

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第12回「相撲界人情話」その3

ケガで大関から転落した雅山は、母の思いが込められた廻しを締め再起の土俵に立った

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残暑が厳しかったざわめきの夏も過ぎ、ようやくさわやかな秋が巡ってきました。草むらで鳴く虫の声や、梢を渡る風の音に耳を澄まし、もの思う季節の到来です。こんなときは、やはり心の襞(ひだ)に触れる話が似合います。勝負ひと筋に生きる力士たちですが、固い絆で結ばれた集団社会ならではの、思わず涙がこぼれる話、ジーンと胸を打つ話があちこちに転がっています。そんな大相撲人情話を拾い集めてみました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

最愛の母との別れ

力士にはさまざまなファンがいるが、一番のファンは両親、とりわけ母親かもしれない。雅山にとっても母親のまさ美さんがそうだった。

平成13(2001)年秋場所、雅山は8場所維持した大関の座を明け渡した。転落の直接の原因となった左足首や右肩のケガを治し、土俵に戻ってきたのは3場所後の平成14年春場所。番付は東前頭8枚目だった。

初日、雅山は両親から贈られたすがすがしい若竹色の廻しを締めて登場。玉春日(現片男波親方)に快勝して戻ってくると、

「苦しかったリハビリのことを思い出したり、久しぶりにファンから、よくやった、頑張れ、という掛け声をいただいたりして、思わず込み上げてしまった」

と支度部屋中に響き渡るような声で号泣した。廻しの色はまさ美さんが風水で占って決めたもので、

「若竹が天に向かってスクスクと伸びるように、もう一度、上を目指せ」

という母親の切ない思いがこもっていた。

平成19年6月7日、このまさ美さんが脳内出血のため、同居していた姉の嫁ぎ先の静岡県三島市の病院で亡くなった。突然、まさ美さんが倒れ、緊急入院したのは5日前の2日。それから毎日、

「自分が声をかけると、体を動かしくれるんですよ」

と雅山は朝稽古が終わると、東京・日暮里の武蔵川部屋から三島市の病院に通って看病を続けたが、願いは叶わなかった。この息を引き取った7日はちょうどハワイ巡業の出発日だった。出発時間はまさ美さんが息を引き取った直後。なんとも間の悪い巡り合わせだったが、雅山は憔悴しきった表情で成田空港に現れ、こう言い残してみんなと一緒に出発していった。

「仕事を休むことを、母は一番嫌がっていましたから」

そう言えば、平成16年10月3日に父親の哲士さんが亡くなったときも、雅山は師匠の武蔵川親方(元横綱三重ノ海)の勧めを断って花相撲を終えたあと、茨城の自宅に向かっている。なんとも辛い親孝行だった。(続く)

月刊『相撲』平成23年10月号掲載

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