アントニオ猪木さん追悼企画として連載されている「それぞれの闘魂伝」。1月25日発売の週刊プロレス(2023年2月8日号/No.2227)では船木誠勝が思い出を語っているが、誌面の都合で掲載し切れなかった興味深いこぼれ話をここに紹介させていただく。2人が師弟として過ごしたのは、船木が新日本プロレスに入門してから欧州武者修行に旅立つまで、1984年から1988年、船木15歳から19歳までの4年間のみ。「プロレスラーになってよかった。新日本プロレスに入ってよかった。ああいう環境で猪木さんに育てられたから今の自分がいると思います。全日本を否定するわけじゃないですけど、新日本を選んでよかったなと思います」と振り返った。
船木にとって猪木さんは育ての親。そして家を飛び出して帰らなかったことに後ろめたさを感じ続けていた。しかし父親は、どこかで息子を気にかけており、最後は猪木さんの方から歩み寄って写真をせがんだという。
2人の関係で外せないのは1989年4月、船木が欧州から帰国した際に開かれた新日本事務所での3日間にも及ぶ話し合い。英国滞在中に「UWFに行きます」と口にしたことが本誌でトップ記事として報じられたことから設けられた緊急会談だった。
「海外に送り出してもらってて『UWFに行く』と言った自分が悪いんですけど、日本に帰ってきてそのまま事務所に連れていかれて、そこから会社に用意してもらった京王プラザとの往復。会う人は猪木さんだけで、軟禁されたようなもの。話し合いといっても、猪木さんの話を聞いてるだけ。移籍できなくなるのかなあって不安でした。
時期も時期でしたし。UWFが新しくできて2年目。飛ぶ鳥を落とす勢いで、新日本から若手が行くとなると会社としてはイメージ的に最悪。そりゃあ、引き止めたくなりますよね、今思えば。ただ、あの当時はそんなことお構いなしでしたから、一刻も早くUWFに行きたいっていう思いだけで。社長の前で早く終わんないかなと思いながら、ずっと耐えてました」
最後は前田日明を交えての会談となり、円満退社という形で船木はUWFに移籍した。それから2人は顔を合わせることなく、ヒクソン・グレイシー戦を経て船木は引退する。
「ずっと接点がなくて、久しぶりに会ったのは自分が復帰してから。2009年でしたか、K-1関連のパーティーに出席したら猪木さんがいて。『ほんとにお久しぶりでございます』ってあいさつしたら、『最近は誰も付き合いが悪くなったなあ。たまには付き合ってくれよ』と冗談っぽく言われて。自分は後ろめたかったんで早くその場を離れたかったんですけどね」
その後に顔を合わせたのが2016年6月26日。猪木vsモハメド・アリがおこなわれたことを記念して同日が「世界格闘技の日」に制定されたことを祝っての船上パーティーだった。ここでも船木は猪木さんからなるべく遠ざかっていようとしたが、猪木さんの方から声をかけられて報道陣の前でカメラのフラッシュを浴びた。
最終的に船木は、UWFに移籍してから猪木の元に帰ることはなかった。藤波辰巳(現・藤波辰爾)や長州力のように猪木と闘ったこともなければ、前田日明のように猪木に対戦を迫ったこともない。
「親に牙をむくことをしてないんで、本当に育ての親と家出をした息子の関係。いまだに新日本に足を踏み入れてない。出ちゃったきり。1回だけ上がりましたけど(2012年1・4東京ドーム)、新日本とやり合ったわけでもないし、ほんとに縁がないんだなと思いますね」
(この項、つづく)
橋爪哲也
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