UWF移籍後はアントニオ猪木さんと接点がなくなった船木誠勝(当時・船木優治)だが、移籍前は濃密な時間を過ごしている。当時を振り返って、いくつかのエピソードを話してくれたが、1月25日発売の週刊プロレス(2023年2月8日号/No.2227)に掲載し切れなかった部分をここに紹介する。
「デビューして半年ほどした頃、試合中に猪木さんに怒鳴られたことがあります。体育館の一番後ろから『この野郎!』っていう声が聞こえてきて。最初は控室で誰かが怒られてるのかなと思ったんですけど、しばらくしたら、また『この野郎!』という声がして。明らかにこっちに向かって飛んできてて。これは自分か、対戦相手の畑(浩和)さんのどっちかのことを怒ってるんだと思って。自分じゃなきゃいいなと思いながら試合してて。試合後、控室のドアを開けたら猪木さんがそこに立ってて、いきなりビンタされました。リング外でするのが闘魂ビンタだっていうのなら、最初にされたのは自分ですね」
若手が不甲斐ない試合をすれば、観客の前であろうと関係なくリングに飛び込んできて、竹刀で制裁を加えるのは有名な話。当然、観客はあっけにとられるが、そんなことお構いなしだった。その後も猪木は、船木の闘いぶりに厳しい目を向けていた。
「『なんだ、今の試合は!』って、初めて面と向かって怒られました。それから毎日、自分の試合後に猪木さんが来て、『今日の試合は何点だ?』って。『100点です』とは言えないし、『0点です』とも言えない。間をとって『50点です』って。日によって、『70点です』とか『60点です』とか。最終的に『なんで100点の試合ができないんだ!』って言われましたね。要は自信持ってできる試合をしろってことで。あとからそう思いました」
しかし当時の船木は、デビューしていたとはいえ、まだ16歳になったばかりの少年。
「とにかく社長に怒られたのはショックで。来年はこのまま絶対にクビになるって思いましたね。そう思うと落ち込んでしまうばかりで、会場の暗い階段の隅で泣いてたんです。そしたら藤波(辰巳=現・藤波辰爾)さんが来てくれて、『今、怒られるのは当たり前だよ。俺なんか怒ってくれなかったし、見てもくれなかった。ありがたいと思いなさい』って。ただ、猪木さんがフォローしてくれたのかもしれないですね。藤波さんに『心配だから見てこい』って。見られないようなところで泣いてたのに、そこまで探してくれたんですから。そうやって叩いたり、撫でたり、ご褒美をあげたり、みんなで育ててくれました。そこまでしてもらったのに(新日本から)家出したんです(苦笑)」
ただいつしか、教育係は星野勘太郎さんに引き継がれていた。
「星野さんがその係になっても毎日毎日、怒られて。でも、何が悪いかは言ってくれない。もう、試合するのはイヤになるぐらい。休みなく動いても怒られるし。怒られなくなるきっかけは、藤原(喜明)さんがUターンしてきて、UWFの若手(中野龍雄、安生洋二、宮戸成夫=当時)と試合するようになってからでした。相手のこと知らないし、遠慮しないで思いっきりいったんです。そこから怒られなくなりました。
要はそういう試合をしろってことが言いたかったんですね。先輩との試合では、いっしょに生活してることもあって、どうしても遠慮してしまうんですね。試合が終われば、厳しい上下関係の中に放り込まれますから。そういう意味では全然知らないUWFの若手相手だと思いっきりいけますし、楽でしたね。それで怒られなくなって、自信も持てるし。
それまでは半年ぐらい毎日、怒られてました。明日試合が組まれてないって知るとホッとして。試合しないと怒られなくて済みますから。怒られなくなってからは、何でも来いって感じでした。そうなるまでに3年かかりました」
あらためてプロレスラーとしての猪木さんを振り返ってもらったところ、こんな言葉が返ってきた。
「時代を先取りしてたんだなあって。プロレス=八百長っていう考えがとにかく嫌いな方で、プロレスに市民権をっていうことを思わせることばかり考えられてた方です。自分も仕事に誇りを持ちたいんで。バカにされるような仕事はしたくない」
(この項、つづく)
橋爪哲也
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