力士が土俵に上がるとき、唯一、身につけることを許されているのが廻しです。
幕下以下は木綿製の黒廻し、十両以上は絹の繻子で色もカラフル、と地位によって違ってきますが、言わば、晴れの衣装ですね。
それだけに、力士たちの廻しに込める思いや、こだわりも十人十色。力士たちは廻しを締めて数々のドラマを演じてきました。
今回は廻しにまつわるエピソードを集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。
残っていた武運平成19(2007)年の夏場所前、脳梗塞のために引退した大関栃東(現玉ノ井親方)はケガとの闘いに明け暮れた力士だった。そのために2度も大関から滑り落ちるという憂き目にあっている。
2度目の大関陥落は平成17年初場所。このとき、栃東は、
「1度目(平成16年名古屋場所)は無我夢中でクリアしたけど、今度は……」
と限界を感じ、師匠であり、実父でもある先代の玉ノ井親方(元関脇栃東)に引退を申し入れたが、
「まだ28(歳)じゃないか。ここで辞めてどうする」
と説得され、翻意。それまで使っていた黒の廻しからブルーの廻しに変えて土俵に上がり、11勝(4敗)して大関返り咲きを決めた。文字通り、ハッピーブルーになったのだ。
それから1年後の平成18年初場所。栃東はまた大関カド番を迎えた。これが実に6度目のカド番だった。肩、ヒジ、ヒザなど、満身創痍の状態で、
「これまでか」
と追い詰められた栃東は廻しをブルーから2年前まで使用していた黒に戻した。平成15年九州場所、この廻しで2度目の優勝をしている。その勝ち運にすがったのだ。
すると、どうだ。カド番脱出どころか、千秋楽、朝青龍を右からの上手出し投げで破り、13場所ぶり3度目の優勝をしてしまった。勝ち運は残っていたのだ。
千秋楽の朝は、平成16年九州場所の魁皇以来、8場所ぶりに日本人の優勝力士が出そうだというので、早くから500人ものファンが当日券を求めて切符売り場に並び、両国国技館は大変な熱気に包まれたものだった。
月刊『相撲』平成23年12月号掲載