悲しいことに、最近は人間がどんどん薄情になり、自分さえ良ければいい、という風潮が広がっているように思います。
その点、大相撲界は違いますよ。同じ釜の飯を食い、同じ稽古場の空気を吸っていることもあって、師匠と弟子、兄弟子と弟弟子の関係はアッツアツ。
恩返しをする、という言葉もちゃんと生きています。
もっとも、大相撲界の恩返しは、世間のそれとはちょっとニュアンスが違いますが。
いや、中には、思わず胸が熱くなるような泣かせる恩返しも。そんなエピソードを集めました。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
輝くプレゼント平成27(2015)年の秋場所初日を10日後に控えた9月3日、三役を26場所も務めた名力士、若の里が引退して年寄「西岩」を襲名することを発表した。現役生活23年半、39歳だった。
「悔いはまったくない。本音はまだまだやりたかったが、もう体がついてきませんでした」
と大仕事を成し遂げた男ならではのおだやかな表情で話していたのを思い出す。
その直前の夏巡業中、すでにこの巡業を最後に引退することを知っていた当時十両の輝は若の里を食事に誘った。輝は十両に昇進するまでの2年間、部屋は違ったが、この若の里の付け人をつとめている。そのとき、さまざまなことを教わり、またいろいろと面倒を見てもらったお礼をどうしてもしたかったのだ。誘ったお店は、付け人だった輝が初めて若の里に連れて行ってもらった仙台の牛タン専門店だった。
ところが、食事を終え、いざお金を払おうとすると、若の里はこう言って輝を押しとどめた。
「お前の気持ちだけ、受け取っておく。オレのことを覚えていてくれて、こんなうれしいことはなかった」
輝は逆にごちそうになったのだ。これではいけないと思った輝は、若の里の引退会見から5日後、同期の当時序二段の大由志と銀座に出かけて相談しながらアルマーニのネクタイとマグナーニの靴を買い、若の里に贈った。
間もなく始まった秋場所の9日目、若の里改め西岩親方はNHKのゲスト解説に呼ばれた。その最中、西岩親方はこううれしそうに言って全国の相撲ファンに披露した。
「このネクタイ、輝にもらったんです。今日、初めてのテレビですので締めてきました」
その首元には濃紺のネクタイが、文字通り輝いていた。
月刊『相撲』令和元年10月号掲載