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2023-06-30

【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第10回「生きるヒント」その3

大関時代の休場をきっかけに勉学に目覚め、横綱にまで昇進した日馬富士

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人生に壁はつきもの。
なんでも自分が思っている通りにいけば、こんな楽しいものはありませんが、そうはいきません。
いろんなところで、いろんな障害にぶつかり、立ち往生します。試練ですよ。
でも、どこかに出口はあり、なにかしらの得るものもあります。
みんな、それを乗り越えて強く、たくましくなっていくんです。
力士だって、そうです。
みんな、負けて塩の辛さをかみしめ、泥まみれにされて涙を流した経験を持っています。
でも、その苦しみの中から次につながるヒントをつかみ、また立ち上がったんです。
そんな苦衷に活路を見つけた力士たちのエピソードです。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

休場をきっかけに

ケガは避けられないだけに、相撲に休場は付きものと言っていい。令和元年九州場所も、十両以上だけで9人もの休場者が出てしまい、優勝争いがすっかりシラけてしまった。

ファンもがっかりだが、もっと気落ちするのは休場に追いこまれた力士たちだ。平成22(2010)年九州場所4日目、右足首を痛め、ここまで1勝もできずにいた大関日馬富士がついに休場した。これが大関になって12場所で、初めての休場だった。
 
次の平成23年初場所はカド番。10日目、東前頭5枚目の豪栄道(のち大関、現武隈親方)を押し倒してカド番脱出に王手の7勝目を挙げた日馬富士はこう明かし、苦笑いした。

「先場所、休場するまで出るのが当たり前、と思っていた。あれから生きる意味を考えるようになったよ。夜も、(酒を)飲んでいると(次の)朝がしんどいから、遊ばないようにしている。遊ぶ時間は7割も減ったな。自分でも不思議だね」
 
では、その余った時間はどうしていたか。

「勉強しているよ。モンゴルの警察大学に入学し、パソコンを利用した通信課程で卒業を目指しているんだ」
 
日馬富士の父親は元警察官。見上げた心がけだった。この4年後の平成26年には、法政大学大学院の政策創造研究科にも入学。このときはもう一つ上の横綱になっていたが、現役のかたわら、さらなる勉学に励んでいた。この日馬富士の勉強好きは休場がきっかけだったのだ。
 
ピンチは、自分を見つめ直し、新たな可能性を見出すチャンス。こうして学ぶ楽しさに目覚めた日馬富士は、引退後、モンゴルに「新モンゴル日馬富士学園」という小中高一貫の学校を設立し、いまやその理事長。毎朝、校門に立って、登校してくる生徒たちと力士時代と同じように日本語で、

「おはようございます」
 
とあいさつを交わしているそうだ。

月刊『相撲』令和2年1月号掲載

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