陸マガの箱根駅伝2024カウントダウン企画「箱根駅伝の一番星」では、出場23校の注目選手を紹介。ワールドユニバーシティゲームズ代表として日の丸を背負った松永伶(4年)は名実ともに法大のエースといえる存在。しかし、3年時まで必ずしも陽の当たる道ばかりを歩んできたわけではない。努力型のエースは支えてくれた周囲への感謝を込めて花の2区に臨む。
転機となった関東インカレ「自分が大学4年生になったら、第100回大会だ、絶対出てみたいって、ちっちゃいときから思ってきたんです」
少しはにかみながら話すのは、前回7位から今季、総合5位以内を目指す法政大のエース、松永伶(4年)だ。
2023年、日本学生ハーフで3位入賞を果たし、8月、日本代表としてFISUワールドユニバーシティゲームズに出場。11月の上尾ハーフでは、自身の法大記録を塗り替える1時間01分56秒をマークし、好調をアピールしている。
また本戦については、「自分が2区を走らなければいけないと思っている」(松永)と語り、目標は区間5位以内。経験、実績とも、各大学のエースと渡り合う実力は十分だ。
だが、1年生のときの松永は、体調不良で走れない期間が続き、大きな目標を描ける状態ではなかった。坪田智夫監督は、「本当に走れなかったので、部をやめなければいいなと思っていたくらいです」と振り返る。
しかし、徐々に復調し本格復帰を印象づけたのが、3年生のときの関東インカレだ。それは感動を呼ぶ、鮮やかな光景だったという。
10000mは30分15秒69で30位にとどまり、坪田監督は翌日の5000m予選を「最下位にならなければいいな」と思いながら、レースを見守っていた。
ところが、予想を覆し、松永は6着で予選を突破する。この姿に松永を知る者たちは狂喜乱舞した。
「選手たちもトレーナーもマネージャーも、松永のどん底を知っているだけに、優勝したんじゃないかっていうくらい盛り上がったんです」(坪田監督)
さらに決勝は6位だったが、4000m付近で三浦龍司(順大)に仕掛け、一時は単独首位に立つ見せ場もつくり、松永が不調から完全脱却するきっかけになった。
松永の名を印象付けた3年時の関東インカレ5000m決勝。ここからエースへの階段を駆け上がっていった(写真/田中慎一郎)
みんなが応援したくなる選手松永は満足に走れなかった2年間を含む、大学生活について、こう思いを口にする。
「陸上をやめようかなと思うくらいつらかったです。でも諦めたら、そこで終わってしまう。4年生になって叶えたい夢や目標があるなかで、まわりに支えられながら、ここまでやってこられました」
一方、坪田監督は、松永が復帰できた理由を人間性の高さにあると指摘する。
「コツコツ取り組む松永は、みんなが応援したくなる選手なんですよ。大変なとき、みんなが支えようと思える魅力がありますよね」
松永が箱根を走りたい理由は、もう自分のためだけではない。2区という晴れ舞台を走り切り、総合5位以内に貢献することこそ、支えてくれた人たちへの最高の恩返しだと考えている。
PROFILE
まつなが・れい◎2001年6月12日、千葉県生まれ。前原中→専大松戸高(千葉)。3年時の出雲で学生駅伝デビューを飾り、箱根は1区区間3位と7位入賞に貢献。今年3月の日本学生ハーフで3位となり、8月のワールドユニバーシティゲームズ出場を果たした。11月に10000mで28分28秒15、続く上尾ハーフでは法大新記録となる1時間01分56秒をマークした。5000mの自己ベストは5000m13分50秒45(大3)。