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2024-02-20

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第22回「苦労」その2

痩身をトレーニングと壮絶な食で鍛え上げ、大型力士と渡り合った寺尾

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人生は自分の思うようにいかなくて当たり前。
砂を噛むような苦労はつきものです。
だから、この世はおもしろいんじゃないか、という逆説的な見方をする人もいますが、白と黒の二つしかない大相撲界で居並ぶライバルたちを押しのけ、大きな花を咲かすまでの苦労、辛さはとても言葉では言い尽くせません。
その苦労の中身も人によって実にさまざま。
これは力士たちの苦労、辛さにまつわるエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

根性入れて食え

大相撲界では、体重を増やし体を大きくすることと、強くなることは、同義語のようなもの。どうやって太るか。力士たちはそれこそ日夜、考えていると言っていい。

39歳7カ月まで現役で頑張った寺尾(元関脇、元錣山親方)が、昭和54(1979)年名古屋場所で初土俵を踏んだときの体重は85キロしかなく、これをどうやって100キロ台の大台に乗せるか、というのが下積み時代の寺尾の最大の課題だった。

「とにかく毎日、稽古するか、食っているか、寝ているかの3つのことしか、しなかった。早く太りたくて、とにかくいつも食っていましたよ。おかげでおなかは常にパンパンの満腹状態。横になって寝ると食ったものが口から出てくるので、100キロになるまで夜も壁に寄り掛かって寝ていました。横になるのは明け方、限界まで詰め込んだ食べ物が胃から腸に下りたホンの数時間だけ。食えないとこぼす力士がいますが、食うのも根性。食えないのは根性、もっと言えばプロ意識が足りないからですよ」

と、寺尾は話している。凄まじい執念だ。

この寺尾の体重が待望の100キロ台になったのは十両2場所目の昭和59年秋場所のことで、前場所の97キロから一気に6.5キロ増えて103.5キロだった。つまり、東の空が白々となる明け方まで壁に寄り掛かって寝る生活を5年間も続けたことになる。若い女性たちはスリムになるのに目の色を変えているが、力士たちは太るのに命がけなのだ。

月刊『相撲』平成24年8月号掲載

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