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2024-02-20

全国女子駅伝9区区間賞の川村楓が大阪で初マラソンに挑む

日本選手権10000mに初出場し、31分54秒73の自己新をマーク(写真/黒崎雅久)

実業団4年目の川村楓(岩谷産業)が充実の時を迎えている。昨年12月の日本選手権10000mで31分54秒73の自己新、今年1月の全国都道府県対抗女子駅伝で9区区間賞を獲得。さらに初挑戦となる2月25日の大阪マラソンを控える。スピード主体のトレーニングで力をつけてきた川村の走りに注目したい。

多くの意味があったアンカーでの区間賞


毎年京都で開催されている全国都道府県対抗女子駅伝。9区(10km)の川村楓(岩谷産業)の走りには、川村の“今”が凝縮されていた。

31分41秒の好記録で区間賞を取ったこと、都道府県駅伝初出場だったこと、京都府チームを2位にまで浮上させたが優勝できず悔しがったこと、そして大阪マラソン(2月25日)に出場する過程で出場したこと、などだ。

「中盤区間の高校生たちが頑張って、前を追いやすい位置で走ることができました。中間点を15分50秒台の速い入りができたんです。目標タイムはなかったので、31分41秒はなんとも言えません。アンカーなのでチームの順位だけを考えていました。(9区の)中盤で宮城(小海遥・第一生命グループ)に少し追いつきましたが、後半は差を広げられてしまった。1位になっていたら役割を果たせたと言えるのですが……。区間賞は狙っていなかったし、実感はありません」

9区には2023年アジア選手権10000m金メダルの小海、10000m日本記録保持者の新谷仁美(積水化学)、昨年10月のMGC優勝でパリ五輪代表を決めた鈴木優花(第一生命グループ)、全日本大学女子駅伝3年連続区間賞(4区・4区・6区)の谷本七星(名城大3年)ら、実績ある選手が多く出場していた。

9区の区間歴代リストの10番目は31分24秒で、今回の川村は17秒差がある。だが10位以内は福士加代子、川上優子、新谷、鈴木亜由子(JP日本郵政グループ)、関根花観、松田瑞生(ダイハツ)と、日本代表に成長した選手ばかり。

川村は佛教大4年時の日本インカレ10000m8位入賞があるが、一昨年までは、世代カテゴリーで見ても日本のトップ選手ではなかった。高校(京都・宮津高)時代は1500mがメイン種目で、インターハイ京都府大会では2位になったが、都道府県駅伝の京都府チームに入ることはできなかった。

「都道府県女子駅伝は高校の頃から出たいな、すごい大会だな、と思っていました。京都は都道府県駅伝のための強化練習会にも力を入れていましたが、私はそこにも行けなかった。今回初めて選ばれたことはうれしかったですね。少しプレッシャーもありましたが、京都チームのスタッフが気負わずに走ればいいからね、と言ってくださって、少し楽に走ることはできたと思います」

個人的には真木和とイメージが重なる。高校まではエリート選手ではなかったが、ワコール入社後に徐々に力を付けた。京都チームのアンカーを務めるようになり、当初は他チームの強豪選手に追い上げられることが多かったが、やがて区間賞を取る力をつけた。そして10000mで日本記録も更新し、1992年バルセロナ五輪代表に成長。マラソンでも96年の名古屋国際女子マラソンに優勝し、同年のアトランタ五輪代表になった。

川村は今後、マラソンをメインにするとはまだ決めていないが、マラソンで大成する可能性もあるだろう。


高校時代から憧れていた全国都道府県対抗女子駅伝に初出場。9区区間賞の走りで京都チームを2位に押し上げた(写真/毛受亮介)

4年時に日本インカレ入賞。距離を延ばした学生時代


川村の佛教大時代のシーズンベストと主要大会戦績は、以下の表の通り。

「3年生まで1500mがメインでした。5000mは駅伝のときにみんな出場する感じでしたね。でも、日本インカレは3年生のときに1500mで出られたのですが決勝に行けなくて、4年になったときに10000mで挑戦することを考え始めたんです。7月のホクレンDistance Challenge士別大会(34分27秒22)が初10000mで、9月の日本インカレ(34分11秒18)が2回目でした。11月の日体大で33分台(33分46秒35)を出しました」



当時の川村は個人種目の最高目標が日本インカレで、そこで結果を残すために距離を伸ばした。練習への意欲も、3年時までより強くなっていた。

「最上級生になりましたし、練習ではつねにAチームを走っていました。引っ張ることも多かったですね。朝練習は鴨川の河川敷を走るのですが、最後のフリー区間はタイムを上げていました」

だが10000mを走るために、練習メニューの距離を明らかに長くしたわけではなかった。

「短い距離の練習が好きで、大学の監督もそこは分かってくれていました。20km走をやったのも大学4年の夏合宿が初めてでしたね。ゆっくりでも、以前よりも長く走るメニューを少し走れば、試合は33~34分台で走ることができました」

将来の伸びしろが感じられたのは、故障による長期離脱がほとんどなかったこと。

「4年間、ガーンと伸びた感じはありませんでしたが、ちょっとずつ成長することはできたのかな」

レベルは高くなかったが、学生時代に距離を伸ばす経験を無理をしないなかでもできた。それが実業団で成長し、初マラソン出場を決断するヒントにもなっていた。

文/寺田辰朗

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