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2024-06-11

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第25回「言い分」その2

お騒がせ横綱朝青龍と、振り回された高砂親方(写真は平成19年“サッカー騒動”での謝罪会見)

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人の気持ちほど、分かりにくいものはありませんよね。
「なんでこんなことをするの」
と首をひねりたくなる出来事に遭遇したことはありませんか。
でも、それにはそれなりの理由があるもの。
あとで、それが分かり、なるほど、そういうことだったのか、
と合点がいくことがよくあります。
力士たちも、よく予想外の言動をしますが、
それにはそれなりの言い分があってこそ。
そんな言い分にまつわるエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

勝てば官軍……

あれは苦し紛れの弁明だったのか。平成24(2012)年の秋巡業でも、新横綱日馬富士のハッスルぶりとは対照的に大関陣の稽古がもの足りず、同行した親方たちは、苦い顔をしていた。平成以降、稽古をやらない横綱といえば、朝青龍の右に出る者はいない。場所が終了するとさっさとモンゴルに帰国してしまい、来日するのはいつも番付発表の直前。
                    
番付発表後、稽古を開始するものの、休み休みの飛び飛びで、こんなことで大丈夫か、と心配になるほどだったが、場所に入るとそんな心配を嘲笑するかのように荒々しい相撲で、面白いように白星を積み重ね、通算25回も優勝した。そういう意味では相撲の天才だったと言えよう。

しかし、朝青龍の天敵、と言われ、槍玉に上げ続けた横綱審議委員の内館牧子さん(脚本家)は、

「私は、アスリートとしての朝青龍は150%好き。でも、大相撲には相撲道の精神がある。それを無視した朝青龍と、ピシッとした態度をとらない師匠がいるから、私は毎回、鬼のように怒らなければいけなかった」

と平成22年1月に退任後、コメントしている。    

こんなふうに、朝青龍が現役でいた間は批判されっぱなしの師匠の高砂親方(元大関朝潮)だったが、一度だけこの愛弟子の稽古嫌いについて反論を試みたことがある。平成17年名古屋場所のことだ。またしても朝青龍が場所前、10日しか、稽古場に現れなかったことについて質問された高砂親方はこう熱弁を振るった。

「トップレベルまでいった横綱は、もうそんなに目の色を変えて稽古しなくてもいいのかもしれない。もうそれ以上、積み重ねる必要がないんだから。千代の富士も第一人者になってからは、そんなに稽古しなかったもの。(朝青龍の)終盤のスタミナを心配している人もいるけど、昨日や今日、力士になったワケじゃないんだ。何年もやっていれば、そのあたりの配分は分かるよ」

このときの朝青龍は7連覇中で、飛ぶ鳥を射落とすような勢いがあったから、この言い分にも十分、説得力があった。しかし、2年後に白鵬(現宮城野親方)が横綱に昇進、それから引退に追い込まれるまでの約2年半の優勝ペースはガクンと落ち、たった5回だけに終わった。稽古不足のツケが出た、と言われても仕方がない。        

月刊『相撲』平成24年11月号掲載

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