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2024-11-29

【しゅりんぷ池田のカード春秋】FUSION(第3回)そんなにレアだったのか! 両リーグ50勝

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今季8月21日のヤクルト戦で阪神の西勇輝が6回3失点で勝利投手となり、これが阪神移籍後の50勝目でオリックス時代の74勝と併せて両リーグ50勝を達成したのだとか。この際に過去の両リーグ50勝投手の名前が列記されていたのですが、これがたった6例しかなかったので改めて驚きました。その6例は下記。

小山正明(セ180勝、パ140勝)
坂井勝二(セ54勝、パ112勝)
江本孟紀(セ61勝、パ52勝)
野村 収(セ68勝、パ53勝)
高橋一三(セ110勝、パ57勝)
工藤公康(セ62勝、パ162勝)

なんで、こんなに少ないのか? FA制度が導入された93年以降はともかく、それ以前は2ケタ勝利を複数年マークできるほどの実力派投手が移籍することはほとんどなかったということにつきると思います。

両リーグ50勝の第1号・小山は先の「プロ野球90周年カード」のコラムでも紹介したように、山内一弘との超大物同士のトレードで阪神から東京に転じ、両リーグ50勝どころか史上唯一の両リーグ100勝を達成しています。

続く坂井勝二は現在のプロ野球ファンにはなじみのない選手かもしれませんが、大毎・東京時代の62~68年に7年連続2ケタ勝利で64年には自己最多の25勝を挙げた下手投げ投手でした。25勝もすれば現在なら、ぶっちぎりの最多勝でしょうが、同年の最多勝は前述の小山で30勝。さらに石井茂雄(阪急)28勝、スタンカ(南海)26勝で坂井の25勝はリーグ4位に過ぎなかったのですから驚きます。

この坂井は“王貞治キラー”として知られた平岡一郎とのトレードで70年から大洋に転じます。平岡は左のワンポイントで鳴らした投手でしたが、2ケタ勝利は1度もなく、その時点で100勝以上をマークしていた坂井と釣り合うとはとても思えませんが、この時代はそんな不可解なトレードもよくありました。坂井は70年に10勝、72年に15勝を挙げ、史上2人目の両リーグ50勝を達成します。

そして、3人目はご存じ“エモやん” 江本孟紀です。こちらも南海に加わった72年から4年連続で2ケタ勝利を挙げていた主戦投手ですから普通はトレードに出されないはずですが、交換相手がすご過ぎた! その江夏豊は阪神に入団以来9年連続2ケタ勝利、20勝も4度でそこまで通算159勝を挙げていたのですから釣り合い上、南海もエースを出さざるを得なかったのです。76年から阪神入りした江本も期待に違わぬ活躍で同年から4年連続(南海時代から数えて8年連続)2ケタ勝利で、80年の開幕早々に史上3人目の両リーグ50勝を達成します。

4人目の野村がこれまた異色の投手です。68年秋のドラフトで大洋から1位指名を受けてプロ入り。同年のドラフト1位は山本浩二、田淵幸一、有藤通世、星野仙一、山田久志、東尾修らが名を連ねる現在でもドラフト史上最高の当たり年と呼ばれる年ですが、野村は通算121勝ながら、そのキャリアの波乱万丈ぶりは歴戦の同期たちの中でも突出したものがあります。

大洋で最初の3シーズンに5勝のみだったのですが、71年のオフに同年の首位打者・江藤慎一との交換でロッテに移籍すると72年はいきなり14勝。ところが73年に同球団の監督に金田正一が就任すると、日拓のエースで実弟の金田留広(→74年ロッテの優勝・日本一に貢献し、MVP)がロッテ入りを希望して、この交換相手に野村が指名され、74年から日拓の後身の日本ハムに移籍。野村はここでも2ケタ勝利2度で、77年にパ・リーグ50勝をクリアします。

しかし、野村の流転は止まらず、杉山知隆・間柴茂有(→81年15勝0敗で日本ハムの優勝に貢献)との交換トレードで78年に大洋に復帰すると、いきなり17勝で最多勝。82年にセ・リーグ50勝に到達も、83年に加藤博一(→大洋でスーパーカートリオの一員に)とのトレードで阪神に転じ、同年自身6度目の2ケタ勝利で、同年史上初の12球団からの勝利を達成したのですから驚きます。

5人目の高橋一三はV9巨人の左のエースで100勝以上をマークしていたのですから、こちらもトレードはありえない存在でした。それが75年に巨人が最下位に転落したことから戦力強化のためにパ・リーグで首位打者7度の超大物・張本勲(日本ハム)を獲得することになり、交換相手として高橋一が充てられることになったのでした。 

6人目の工藤、7人目の西勇はFA制度導入後の達成ですが、同制度の導入後30年経っても「両リーグ50勝」が2人のみというのは少ないですね。FA権を得た有力投手の多くがMLBを志向しているからでしょうが、西勇に続く投手の出現も期待したいですね。


当コラムは、これまで「週刊ベースボール」の「Curutural Review」のページに掲載されていたカードのコラムを転載していたのですが、2001年春から続いていたこの連載が先日の4月1日号をもって終了しました。今後、当コラム「カード春秋」(※)はBBMカードサイトのオリジナルコラムとして続けていこうと考えておりますので、よろしくお願い致します。

※「カード春秋」というタイトルは、わたしの出身校・香川県立高松高校(旧制・高松中)の大先輩にして、文藝春秋社の創設者である菊池寛先生へのオマージュなのです。

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