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2020-06-23

【私の“奇跡の一枚” 連載75】 母の背中で覚えた相撲甚句

昭和59(1984)年2月18日、降りしきる大雪の中、私は盛大な見送りを受けて、元大麒麟の押尾川部屋入門のため日立を旅立った。

※写真上=在りし日の父と母。中央上部に大至の土俵上の勇姿が――。身内から見ても、とにかく仲がよく、頼りがいがある夫婦でした
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

欠かせなかった年中行事…

 以降、この日は力士大至にとって最大の記念日となった。毎年必ず父から、初心を忘れぬようにと激励の電話がかかる。そのたびに私は笑い、涙し、決意を新たにしてきた。そしてそれは現役ばかりでなく、引退してからもずっと続いていた。

 父が3年前亡くなった後は母・京子が、メッセージを送り続けてくれた。だが、今年はその声を聴くことはできなかった。

 そう、父の亡き後、一人暮らしで頑張っていたが、体力の衰えから一昨年施設に移った母が昨年12月18日、79歳で天に召されてしまったのだ。

 私は思いっ切り泣いた。そして身内だけの葬儀で、母への思いを甚句にして、感謝の思いを捧げた。

【高野京子追悼甚句】
〽アーエー
想い出すのは
優しさばかり ヨー
アー どんなときにも冷静で
どっしり構える肝っ玉
  姉さんかぶりで割烹着
  まさに日本のお袋さん
包丁さばきの鮮やかさ
煮物に 漬物 手打ちうどん
編み物 縫い物 任しとき
  何でもこなした魔法の手
スーパー母ちゃんここにあり
家族に尽くした人生も
観音様のようなほほえみで
誰からも慕われた母でした
  母の子供で良かったと
  誇りに思う日々でした
もっと話をしたかった
もっと母から学びたかった
幼き頃に聴かされた
 子守りの歌を耳元に
  煮物のぬくもり胸の中
消えることなくいつまでも
あなたの教えを我々の
子供や孫に引き継いで
  母の話を聞かすこと
  心の中で生きている
花の香りに送られて
天に召された今頃は
笑顔の父とご対面
  父ちゃん幸せ独り占め
今ごろ二人で ヨーホホイ
アーうどん打ち ヨー
(アー ドスコイドスコイ)

母との親子デュエット

 さて、私は、平成14(2002)年協会退職後、歌手としての道を歩んでいる。その出発となったのは最初に吹き込んだ『大至の甚句革命』(ベースボール・マガジン社/平成2年)という相撲甚句のCDだ。

 そこには、昔ながらの甚句はもちろんのこと、清新な新作から、童謡・唱歌はたまた有名歌謡曲の甚句バージョン、だれも思いつかなかった甚句スキャット、さらには私と母による親子デュエット「相撲取り息子」と、大至の引退御礼甚句。考えられるありとあらゆる可能性を織り込んだ。当時としてはまさに『革命』のタイトルにふさわしいものだったと思う。

 普通、力士は相撲界に入ってから甚句を覚えるが、実は私は入門前から唄えていた。それは、民謡とともに相撲甚句が好きだった母が私をあやしながらよく唄って聞かせてくれていたから。大至の相撲甚句の原点は、母の背中で覚えた子守唄なのだ。音程から情感まで、大人になってからも私はいつも感心しながら聞きほれていた。機会があれば読者の皆様にもぜひ聞いていただきたい母の唄声である。

 私自身、それがかなうのは、このCDの中だけになってしまった。改めて、オレの甚句の師匠はお母ちゃんだもんね、とかかってこない電話口に向かってつぶやいている私である。

語り部=大至伸行(元前頭3・大至、歌手)

月刊『相撲』平成30年3月号掲載 

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