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2020-02-25

【私の“奇跡の一枚” 連載57】大事なことはすべて土俵で学んだ!故郷の英雄「真の相撲人」の教えに感謝

今回、リオ五輪に勇躍臨み、期待に違わぬ活躍をした日本人選手の多くが、自分の周りの人々への感謝を口にした。実にすばらしいことだと思う。記録や結果を出したのは本人であるにしろ、ここまで来るには、多くの人々の導き、後押しがあったことを忘れてはならない。

※写真上=鹿児島県は大隅半島の南方40キロの海上に浮かぶ種子島(たねがしま)が生んだ偉大な兄弟関取。長身で吊りを得意とした幕内・鶴ケ嶺(右、兄)と十両・薩摩洋
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

人生の財産となった恩師直伝 相撲の大基本

 私は杏林大学に長い間、教授として奉職させていただき、スポーツ医科学方面の研究に打ち込んできた。その間教えをこうむった方々を数えればきりがない。だが、その中で、学校等で受けたどんな名講義よりも、私にとって血となり肉となったのは、郷土の英雄でもあった師匠(親方)からマンツーマンで受けた、ごく短期間の魂の授業だった。それは四股・鉄砲の大基本から相撲道にまで懇切に及んだ。

 実は私は、大学に進む以前、高校1年の時、我が故郷鹿児島県種子島が生んだ幕内力士で、双葉山時代に初代鶴ケ嶺として幕内で活躍し、大相撲が育てた人格者としても知られていた10代目井筒親方の下に入門(昭和34年7月)したことがあるのである。“両差し名人”と言われた一番弟子の2代目鶴ケ嶺関も現役で大活躍中のとき。

 私は格闘技から陸上競技までスポーツ万能の有望新弟子として郷土の期待も背負い、意気揚々と部屋の生活に飛び込み、稽古にも打ち込んだ。

 しかし当時は新弟子検査が特に厳しい時代で、体が細かった私は、どんなにメシを腹に詰め込んでも体重が規定にわずか及ばず、7月、9月と2度の検査に不合格となってしまった。そこで、いったん故郷に帰り卒業してから出直そうということになった。

 そこから私の人生は大きく変わる。高校生活に戻った私はまたスポーツに打ち込み、国士舘大学のほうへ引っ張られる形で進学の道を選んだ。井筒親方の「君は優秀な男だ。必ずしも相撲で出世しなくてもいい。社会に出てそこで横綱になればいいじゃないか」という言葉に甘えて。

 それからは私の専門の道が始まり、のちに相撲界でいえば幕内、三役クラスの教授への昇進も叶うのだが、途中講師、助教授に就任、といったご報告も申し上げた。そのたびに親方やおかみさんは我がことのように喜んでくださった。

 さて、私の専門の一環としての相撲評論もそのうちに世間さまから徐々に認められ、本誌で連載も持たせていただくようになった。素晴らしい指摘だ、実に新しい着眼だ、などと時折おほめの言葉をいただいたが、その根底はあの新弟子時代の親方の教えそのものにほかならなかった。

 井筒部屋で、親方の身近に仕え、過ごした時間は何物にも代えがたい至福の時間だった。関取衆に部屋の跡継ぎにもなれる逸材かも、と見込まれた高校1年の少年が志に燃えているところに、高い見識、鋭い洞察力に裏打ちされた、理論、実践、教授法に裏打ちされた親方の教え。伝統国技の基本が私の身にしみるように伝わったのも当然だったかもしれない。それはまた相撲ばかりでなく、そのまま人生の基本にもつながった。

 その後の人生のあらゆる場面での出処進退にもこの教えは血となり肉となっていた。

『大事なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ』という本があったように記憶するが、私の人生の場合は、「すべて井筒部屋の稽古場で師匠から学んだ」と言っても過言ではない。

 昭和46年の九州で病を得てそのまま、入院されていた親方のお見舞いに伺ったことがある。ちょうど、親方と兄弟関取ということで現役時代評判になった元薩摩洋さんが、泊りがけで看病にいらしており、3人それぞれにさまざまな昔話に花が咲いたことを覚えている。私は、十数年前のあの新弟子時代の至福の『授業』についてお話しし、心から「お陰さまで」と感謝の気持ちを吐露させていただいたのだった。その時親方の大きな目に浮かんだ涙は、私にとって今では金メダル以上のものとなっている。翌年の昭和47年3月18日、真実の相撲人・井筒親方没。合掌。

語り部=下川哲徳(杏林大学名誉教授・相撲評論家)

月刊『相撲』平成28年9月号掲載

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