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2019-12-13

【連載 名力士たちの『開眼』】 小結・大錦一徹編 “後半”のオレこそ足が地に着いた本物――[その3]

「バカ野郎、何を言いに来たのかと思ったら、なんてことだ。ちょっとそこに座れ」

※写真上=「花のニッパチ」と呼ばれ、一世を風靡した昭和28年生まれ五人衆。左から麒麟児、若三杉(のち横綱2代若乃花)、横綱北の湖、大錦、金城(のち栃光→金城)
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】昭和48年秋場所、新入幕で大関貴ノ花、横綱琴櫻を連破し、11賞を挙げ三賞を独占。翌場所は小結に昇進するも師匠の予測どおり3勝しかできず、幕内上位の壁にぶち当たる。三役に上がったのはこの1場所だけとなった――

師匠に廃業申し出から現役続行9年

 予期していたこととはいえ、師匠の怒声に、大錦は思わず首をすくめた。入幕早々ド派手なことをやってのけた大錦だったが、2場所目に小結で大敗すると、たちまち勢いを失い、佐渡の怪童も幕内と十両を行ったり来たりするただのエレベーター力士に。しかもそうこうしているうちに、医者の忠告を無視した長年の暴飲暴食がたたって糖尿病が悪化し、三賞独占から6年後の昭和54(1979)年春場所、とうとう無給の幕下まで転落してしまったのだ。

 落ち目になると、まるで潮が引くように、それまで群がっていたファンや、後援者たちも近寄らなくなる。この2年前の2月、大錦は幸子夫人と恋愛結婚していた。その生活もある。

 ――小結まで上がった力士がこんなところまで落ちるのは部屋の恥。女房にも、これ以上恥ずかしい思いはさせられない。糖尿病のほうも、ついにインシュリン注射のやっかいにならなくてはいけなくなったし。この際、思い切って力士をやめよう。こう決心した大錦は、恐る恐る師匠の部屋を訪れると、廃業を申し出たのだった。

 やめてどうするか――。このとき、大錦の頭の中にあった第二の職業はトラックの運転手だった。小さいころからクルマが大好きで、すでにこのとき、運転免許証を取得していたのだ。しかし、なんといってもまだ25歳である。

「やめるのは、いつだってできるんだ。ここでやめても、気持ちがすっきりしないだろう。あんな可愛い嫁さんもいるじゃないか。もういっぺん、しっかりと健康管理に努めて、やり直してみろ。ここでやめたら、一生悔いを残すことになるぞ」

 糖尿病と真っ向から向き合い、体をいたわって暮らす大錦の第二の力士生活が始まったのは、この師匠の言葉にもう一度やる気を取り戻してからだった。それまでなかなか縁を切れなかったアルコールをピタリとやめ、カロリーや栄養のバランスを考えて、野菜中心の食生活に切り替えたのもこの直後である。この手のひらを返したような節制と努力が実って、幕下暮らしをこの春場所だけの1場所、それも7戦全勝の優勝で切り抜けると、あとは34歳で引退するまで、二度と同じ屈辱を味わうことはなかった。

 前半のように華やいでもいなかったし、番付の上位にも行けなかったが、この後半の大錦の力士生活が、どんなにしっかりと足を地につけた、充実したものだったか。幕下落ちを境にして、前半3個、後半5個という金星獲得数に片鱗をうかがうことができる。マスコミにもほとんど取り上げられることがなかった後半のほうが、よく頑張っているのだ。

 その最後の金星は、引退する4場所前の62年名古屋場所10日目、横綱1年目の双羽黒を右下手投げで投げ飛ばして挙げたものだった。

「新入幕で三賞を独占した前半のオレと、通算12回も幕内と十両を往復した後半のオレと、一体どっちが本物か、と聞かれると、躊躇せず、後半、と答えますね。同じ昭和28年生まれに北の湖をはじめ、若乃花(2代)、麒麟児、金城ら、上位の常連がいっぱいいたけど、彼らに惑わされることもなく、自分は自分、と割り切ってマイペースでやり遂げることができましたから。前半の生活を続けていたら、恐らく30歳前にやめているんじゃないの。結婚して4年後に娘が生まれ、この子の記憶に残るまで現役でいたい、と思ってたんですよ。それがなんとか7歳になるまで頑張ることもできたし。引退を決意したとき、全然、悔いはなかったな。大満足の現役生活ですよ」

 と山科親方(元小結大錦)はさばさばした口調で、足掛け20年にわたる我が力士人生を総括した。

 引退相撲は63年10月1日。師匠が髷に止め鋏を入れたとき、新弟子時代あんなに泣き虫だった大錦の横顔に、うっすらと笑みが浮かんでいた。(終。次回からは関脇長谷川戡洋編です)

PROFILE
大錦一徹◎本名・尾堀盛夫。昭和28年9月11日、新潟県佐渡市出身。出羽海部屋。186cm150kg。昭和43年夏場所、本名の尾堀で初土俵。48年夏場所新十両。翌名古屋場所、大錦に改名。同年秋場所新入幕。最高位小結。幕内通算53場所、348勝428敗19休。殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞1回。63年初場所に引退し、年寄山科を襲名。出羽海部屋で後進の指導にあたる。平成30年9月、停年退職。

『VANVAN相撲界』平成6年5月号掲載

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