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2019-09-12

【マラソン】渡辺康幸氏が語るMGC男子展望 一発勝負、早い段階で勝負に出る選手が出てくるのでは?

東京五輪マラソン日本代表決定戦「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」が9月15日(日)、男子は8時50分、女子は9時10分に、東京・明治神宮外苑いちょう並木からスタートを切る。男女各上位2名がオリンピックの代表権を手にする一発勝負の選考会。渡辺康幸氏に男子の展望を占ってもらう。31選手が出場する男子は、リオ五輪以降、マラソンの日本記録を塗り替えてきた設楽悠太、大迫傑を筆頭に台頭してきた20代の選手、百戦錬磨の佐藤悠基ら30代のベテランら、多士済々の面々による戦いとなる。
※陸上競技マガジン9月号(8月10日発売)より転載

7月の豪州でのゴールドコーストマラソンを2時間7分台で制した設楽。勢いをつけてMGCに臨む(写真左)/スピードを追求するアプローチで第一人者の存在感を発揮する日本記録保持者の大迫(写真右)
写真/陸上競技マガジン、JMPA

飛び出す選手が現れる?

――レースはどう展開するのでしょうか。可能性をいくつか挙げていただけますか。

渡辺 まずはスタート後の下りで、速いペースになるかどうか、ですね。冬のマラソンのように3分ペースを刻む大冒険ができる選手はいないと思いますが、良いリズムで走ろうと考える選手が現れるかもしれません。それによって速めの展開になるか、スローの展開になるかが決まります。

――下りでスローになったとしたら、その後はどうなりますか?

渡辺 駆け引きが始まります。誰かがスローペースに我慢できなくなって、10kmの日本橋や15kmの雷門あたりでポーンと上げる選手が現れるかもしれません。有力選手はその選手の走りを見極めて、落ち着いて対応するでしょう。おそらくは、力を温存すると思います。

――そういった選手がどこかで集団に吸収されると、35kmや、上りが始まる37kmからの勝負になるのでしょうか。

渡辺 うーん。35kmまで集団で進んで、そこからヨーイドン、という展開にはならない気がします。一発勝負ですから、早い段階で勝負に出る選手、引っかき回す選手が出てくるんじゃないでしょうか。

――どういったタイプの選手が考えられますか。

渡辺 30何人かが出場しても、代表になれるのは2人か3人です。有力選手が良い状態で臨んできた場合、終盤で正面からぶつかってもチャンスはない。何もしないで4位以下になるなら、何かやってやろう、と考える選手はいると思います。20km、25kmから飛び出す選手が現れて、逃げ切ってしまう可能性もある。僕がMGC選手の監督だったら、「爪痕を残そうよ」と選手に言うと思います。

――複数の選手が出場できるチームが、連携した戦い方をする可能性はあるでしょうか。

渡辺 あると思います。チーム内で調子の良い選手も、各選手の走りのタイプも分かっています。誰かを犠牲にするというのではなく、例えば調子は良くないけどスピード型の選手だったら、スローよりも速い展開に持ち込んだ方がリズムに乗る可能性もあります。その選手が早めに仕掛けると分かっていたら、同じチームの選手はすぐに付くのか、じっくり追い上げるのかあらかじめ気持ちの準備ができる。他のチームの選手からすれば、引っかき回されることになります。

上りに強そうな選手は?

――飛び出した選手が逃げ切れなければ、37km以降の上りで勝敗が決まる展開になります。早大時代の教え子である大迫傑選手(Nike)の上りはどうでしょうか。

渡辺 大迫選手も設楽選手(悠太/Honda)も線が細いので、上りをガツガツ行くタイプではありません。井上選手(大仁/MHPS)も含め、フォアフット接地は平地の方が生きるでしょう。ただ、大迫選手もボルダー(米国コロラド州の高地)でアップダウンをよく走るようですし、初マラソンのボストン(2017年)も心臓破りの丘を克服しました。佐久長聖高時代もクロスカントリーに強かった。上りで離せるかどうかはなんとも言えませんが、上りに苦手意識はありません。

――上りに強そうな選手は?

渡辺 山本選手(憲二/マツダ)です。太ももや体幹が違いますね。服部選手(勇馬/トヨタ自動車)や中村選手(匠吾/富士通)も強そうです。

――やはり上りに強い選手が有利になりますか。

渡辺 有利にはなると思います。東京のコースは最後に何度も上るので、本当にいやらしいコースです。ただ、箱根駅伝2区の戸塚中継所前の坂ほど傾斜がきついわけではありません。どの選手も上りの練習はしているので、極端に弱い選手はいないはずです。そうすると、余力のある選手が勝つのではないでしょうか。

昨年の東京、今年のびわ湖で2時間8分台をマークした山本(写真左)
恵まれた体を生かした力強い走りを見せる服部。終盤の上りでも力を発揮できるか(写真中央)
初マラソンとなった昨年のびわ湖でMGC出場権を獲得した中村は、その後、ベルリンで2時間8分台をマーク。評価は高い(写真右)

――最後の1kmは少し下っています。ラスト勝負に強い選手は?

渡辺 付いていって最後に強いのは佐藤選手(悠基/日清食品G)です。ラスト100~200mのスプリント勝負は特に強くて、トラックで日本代表を狙っていたころの日本選手権では最後に競り勝っています。大迫選手も16年、17年と日本選手権で2連勝して着実にスプリント力を付けてきています。逆に、服部選手、中村選手、設楽選手と井上選手の4人は、ラスト勝負を避けたいでしょうから、ロングスパートになるでしょうね。仮に最後で差されても、2位に入る可能性はその方が高い。何とか逃げ切りたいはずです。

井上は自己記録はもちろん、酷暑のなかで優勝を果たした昨年のアジア大会とその実力を見せつけてきた(写真左)、ベテランの佐藤がどの位置でレースを進めていくのかも注目点のひとつ(写真右)

耐暑トレーニング優先か? コンディショニング優先か?

――暑い場所で耐暑トレーニングを多く行うべきか、涼しい場所でコンディショニングを優先すべきか、どうお考えですか。

渡辺 どちらもやらないとダメでしょうね。瀬古利彦さんがロサンゼルス五輪(1984年)前に暑い神宮外苑で練習して、血尿を出すほど体を壊されてから、走り込みは涼しいところで行うのが定番になりました。しかし北海道だけでは暑さ対策になりません。旭化成が谷口浩美さん(91年東京世界選手権金メダル)、森下広一さん(92年バルセロナ五輪銀メダル)でメダルを連続で取ったころは、暑さのなかでもしっかりやったと聞いています。

――日本のマラソン界を支えてきた旭化成の選手が、今回は出場しません。

渡辺 夏場のノウハウを持った百戦錬磨のチームです。旭化成の選手がいたら面白かったと思います。その意味では中国電力の選手も注目していいでしょう。01年から09年までの五輪と世界選手権で日本人トップを取り続けたチームです。
実際、いろいろな考え方のチームがあります。国内の暑い場所で練習してくる選手も、北海道のような涼しい場所で練習してくる選手もいる。例え暑い場所に行っても、練習は涼しい早朝と夜に行う方法もあります。そして、涼しい場所と高地トレーニングを組み合わせた「リビングハイ・トレーニングロー」を導入しているチームもあります。ただ、練習方法に正解はないと思います。

2カ月前のレースに出場する意図は?

――マラソン練習も多様化してきていると思われますか。

渡辺 大迫選手が7月22日のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会を27分台で走りました。佐藤選手も設楽選手も同じレースを走っています。彼らにとって大勝負となるマラソンの2カ月前にレースで10000mを走るという発想は、僕らが現役のころにはなかったことです。2カ月前は一番走り込んで、1カ月前に速い40km走をやって、3週間前に30km、2週間前に20kmを行うのが王道でした。多少、変化走を入れたりはしていましたが。今は(2カ月前に)走り込んでいる選手と、大会に出てスピードを確認する選手に分かれますね。

――スピードが重視されるようになった、ということですか。

渡辺 その通りです。夏のマラソンでも(5km)14分30~40秒に上がる区間があります。スローペースでも、1km2分50秒に上がることもある。マラソンを走り切るスタミナをつくりながら、5000mを13分台で楽に走れるようにしておかないと対応できません。どんなスピードにも対応できるようトラックレースを練習に使うことも一つの方法だと思います。

――その代表格が大迫選手ということですね。

渡辺 はい。大迫選手がトレーニングをしているナイキオレゴンプロジェクトでは、ポイント練習は週に2回しか行いません。その代わりつなぎのジョグをしっかりと走って距離を踏みます。加えて、ウェイトトレーニングや体幹トレーニングをしっかりと行います。走り込むよりも大変かもしれません。マラソン選手がある程度の距離を走るのは当たり前で、それに加えて何をやるかが重要です。大迫選手は日本のマラソン練習が、ただ走り込んでいた20年前に戻るのが嫌なのだと思います。自身がパイオニアだという気概が、話をしていると伝わってきます。

「本命」たちにかかる重圧

――代表争いの行方は大迫選手、設楽選手、井上選手、服部選手が4強として注目されています。

渡辺 順当にいけば大迫、設楽の両選手、井上選手の3人が代表に近いわけですが、そう簡単にいかないのがマラソンです。03年の福岡国際マラソンがそうでしたね。一発選考ではありませんでしたが、3人が2時間7分台で走りました。前年に2時間06分16秒(当時の日本記録)を出した高岡選手(寿成/現カネボウ監督)が大本命でしたが、僕と同学年の国近選手(友昭/現DeNA監督)が勝って、諏訪選手(利成/現日立物流コーチ)が2位。高岡選手は3位でした。国近選手と諏訪選手が翌年のアテネ五輪代表に選ばれました。

――勝たないといけない、というプレッシャーが大きいと、レース中の動きに力みが出てしまうのでしょうか。

渡辺 そうだと思います。絶対に代表にならなければいけないプレッシャーは、本人にしか分かりません。瀬古さんは選考会ではプレッシャーを跳ねのけて3大会連続(1980、84、88年)でオリンピック代表になりましたが、あれだけ強い人でもオリンピックでは思うような成績を残せませんでした(1980年モスクワ五輪は日本が不参加)。大迫選手も外には出しませんが、プレッシャーを感じているはずです。設楽選手も、井上選手も。彼らは周りから見ると宇宙人のようなキャラクターだと思いますが、プレッシャーがないということは考えられません。それを跳ねのけるのが本当に強い選手です。

――設楽選手はMGCを特別なレースと思わず、普通の一つの大会と認識しています。

渡辺 それでいいんじゃないかと思います。MGC、MGCと変に意識せず、普通のパフォーマンスを出せば代表になれるのですから。設楽選手は年末に体調を崩して3月の東京マラソンには出られませんでしたが、絶好調の状態を長く続けるのは難しいものです。立て直してまたいつもの連戦をして、先日(7月7日)のゴールドコーストに2時間07分50秒で優勝しました。9月15日にピークを持っていくことを考えたら良かったのではないかと。彼のあっけらかんとした性格も、大舞台向きかもしれません。繊細な性格の選手だったら委縮してしまうかもしれません。

――大迫選手の今年の東京マラソン途中棄権も、寒さだけでなく、どこか不調もあったのでしょうか。

渡辺 後になって関係者から、本番前の大切な練習を2回飛ばしていたと聞きました。本人は絶対に言い訳はしませんけどね。ただ、棄権こそしましたが、そこから多くを学んだはずです。今の日本のレベルの高さは、彼も分かっている。自分が切り拓いた道への自負はあると思いますが、自分が絶対に勝てるとは思っていないでしょう。ともかく、あのレースがMGCではなくて良かったです。

――井上選手は国際大会でもそうですが、平常心を心がけながらも、常に高い目標設定をして臨みます。

渡辺 井上選手に限らず、自分が格下という意識があっても良くありません。選考会のような大一番では雰囲気にのまれてしまいますから。MGCに出場する全員が、「勝って代表になるぞ」という意識でスタートラインに立つと思います。

東京五輪の予行演習では勝てない

――女子マラソンが五輪で勝ったときは、早い段階で自ら仕掛けています。MGCでも、五輪本番を考えたレースをすべきなのでしょうか。

渡辺 当然です。ただ今回は、目の前のレースに集中すべきです。代表を託されて思い切りいくレースと、絶対に代表を取らなければいけないレースでは、やはり違いがある。途中から勝負に行くのもありですし、ラスト勝負をするのもありですが、描いた筋書き通りにいくほど楽じゃないと思いますよ。東京五輪の予行演習ではなく、とにかく代表になることが大事なレースです。

――東京五輪本番につながる部分は?

渡辺 五輪本番と同じコースを走るということ自体、財産になると思います。他国の選手は、下見はできたとしても、事前に本番仕様のレースはできません。本番に近い条件の勝負だからこそやれることがある。代表に選ばれれば、MGCで1位でも、3位で滑り込んでも同じ立場です。レースを振り返って、小さな失敗や準備段階の反省が出てくると思うので、本番へ向けた改善点が見えれば大きな収穫です。地元開催の利点は大いに利用すべきです。

――初めてのMGCはレース展開も、誰が勝つのかも、予想が難しいということになりますか。

渡辺 初めてですから予想しづらいですよね。何回もやっているレースなら、いくつかのパターンが想定できるのですが。近年はペースメーカーが付くレースが多いので、誰がレースを引っ張っていくのか。夏場としては速い展開になるのか、スローペースになるのか。本命と言われる選手たちが、自分から仕掛けられるのか。終盤の上りに体力を温存するのが普通ですが、気をつけないと飛びだした選手を逃がしてしまいます。30人以上も出場資格をクリアした選手がいて、いろいろなタイプ、考え方を持った選手が一斉に走るわけです。コースも起伏や折り返しがあって、レースに影響します。選手と指導者は大変ですけど、観戦時の注目ポイントが多く、見ている側は最高に楽しいマラソンになると思います。

取材・構成/寺田辰朗

解説者Profile
渡辺康幸 わたなべ・やすゆき 1973年6月8日、千葉県生まれ。市立船橋高(千葉)→早大→エスビー食品。大学時代は1年時から箱根で2区を任されるなど、日本屈指の長距離ランナーとして活躍。大学4年時の1995年にはイェーテボリ世界選手権10000m出場、福岡ユニバーシアードでは10000m優勝を果たした。卒業後、ヱスビー食品を経て2004年に早大駅伝監督に就任すると、2010年度にはチームを史上3校目となる大学駅伝三冠へと導いた。2015年4月からは住友電工陸上競技部監督を務め、世界で戦える選手の育成に力を注いでいる。

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