津軽から同じ列車で上京、同時に入門した若乃花、隆の里。
青森の大先輩である師匠、二子山親方(元横綱初代若乃花)のもとで厳しい稽古に耐え、
長い下積みの時期を乗り越えた二人は、
ともに純白の綱を締める地位にたどり着いた。
若は「輪湖」、隆は千代の富士と全盛期のライバルは異なるが、人気では北の湖を圧倒し、千代の富士の天敵となった。
そんな二人の最大のライバルとの激闘を振り返る。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
王者“ウルフ”を力でねじ伏せた“ポパイ”昭和58(1983)年名古屋場所、綱取りの隆の里は、横綱千代の富士と1敗同士の楽日相星決戦を迎え、右四つがっぷりから吊り、外掛けで崩して寄り倒し。賜盃を手にし、若乃花(2代)から2年遅れて横綱の座に就いた。続く秋場所も横綱同士の楽日全勝対決となり、またも右四つから高々と吊り出し。15日制以降初の新横綱全勝優勝を果たした。
新十両は同じ昭和49年九州場所。隆の里は当時から千代の富士の存在を意識していたという。入幕は先んじたが、それぞれ糖尿病、肩の脱臼で低迷期へ。トンネルを抜け、上昇期に突入した時期もほぼ同じ。55年名古屋以降二人は三賞の常連となり、56年初場所はともに大関昇進を懸けて臨んだ。だが隆の里が9勝に終わった一方、千代の富士は初優勝で大関昇進、大フィーバーを巻き起こす。勢いに乗ったウルフは名古屋場所後に横綱に昇進したが、隆の里の大関昇進は、それからさらに3場所を費やした。
しかし“王者ウルフ”に照準を合わせた隆の里は、その間も徹底的な研究により、左上手を取らせず胸を合わせにいく作戦でライバルを打ち砕いていった。57年秋場所までは実に8連勝。千代の富士も翌九州から3連勝と、苦手意識を払拭したはずだったが……その後の2場所連続の千秋楽決戦での完敗は屈辱だったに違いない。
圧倒的強さで隆の里独走時代突入かと周囲は騒いだが、奮起した千代の富士は、以後23回もの優勝を重ねていく。隆の里のケガで並立時代は長くなかったが、苦境を乗り越えた二人の力対決は見応えがあった。
『名力士風雲録』第16号2代若乃花 隆の里掲載