1994年4月4日、新日本プロレス広島大会でグレート・ムタがアントニオ猪木に毒霧を浴びせた。 当初のカードは長州力&天龍源一郎vs武藤敬司&蝶野正洋。試合開始直後、天龍は武藤を場外に放り出すと、マイクを持って「ムタで来い、ムタで!」と叫んだ。
武藤はリングに背を向けて長い花道を引き揚げる。リング上では蝶野が1対2のハンディキャップマッチを強いられた。1分、2分、3分…。
ついにオレンジ色のタイツを赤袴に替えてムタが登場! 場内のボルテージが一気にはね上がったのは言うまでもない。
試合はムタの存在感が支配。勝敗的には長州が蝶野をリキラリアットで仕留めたが、ムタは担架で長州と天龍を突きまくって、毒霧まで浴びせてみせた。
そんな中、リングサイドに猪木が登場。ムタは片ヒザを突いて凝視しながら一歩、また一歩とにじり寄っていく。
猪木を射程距離にとらえたところで、なんと毒霧を噴射! 両者は5・1福岡ドームで一騎打ちを控えており、これが初遭遇だった。試合後、ムタは「これがオレからの宣戦布告ですね。日本のプロレス界は上にいけない仕組みになってるでしょ。オレならそれを突き破ってくれると、ファンも期待してるんじゃないかな。もちろん、ムタでだ」と語った。
猪木が昭和プロレスの毒ならば、ムタは平成プロレスの毒。究極の世代闘争が始まろうとしていた。