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2021-05-27

【プロレス】幻の金メダリスト義足レスラー、キャリア40年超の“デビュー戦”まであと少し

足を失ってからも趣味であるドライブは続ける谷津。日常生活では基本的に自分が運転して車移動をしている

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レスリングの日本代表として1976年のモントリオールオリンピックに出場(8位)。80年のモスクワオリンピックも出場が決まっていたが日本が不参加となったため、“幻の金メダリスト”と呼ばれた谷津嘉章はその後プロレスデビュー。2010年11月に引退も復帰し、東京オリンピックを盛り上げる一環として'19年4月よりオリンピック出場経験を買われてDDTにスポット参戦していた。しかし同年6月に糖尿病の悪化により右足を切断。

 以後、プロレス界から距離を置くと思われたが、昨年6月、DDTさいたま大会で義足をつけての復帰戦が決定。しかし同大会がコロナ禍のため中止となってしまい、谷津は大げさではなく生きがいのひとつを失った。それでもリング復帰をあきらめず、今年に入るとDDTもグループ会社のひとつであるサイバーファイトが総力を結集して開催される「サイバーファイト・フェスティバル」6・6さいたまスーパーアリーナ大会での復帰が決まった(本戦前の時間差バトルロイヤルに出場)。

 サイバーファイトの高木三四郎社長の話によれば去年の復帰戦が一度流れたあとも、DDT側はあらためての復帰戦を打診していた。だが谷津はさいたまスーパーアリーナというビッグマッチにこだわったのか、またはコロナが収束しない現状に基礎疾患をもつ体を考慮したのか、首を縦に振らなかったという。それでも今回、当初復帰予定だった会場であらためてのオファーを受けて谷津は決断。基本的に昨年予定されていた大会と今年開催するものは「別物」ととらえていた高木社長だが、谷津の件だけは「自分のわがままでスライドさせてもらった」というほど強いこだわりもあった。

 谷津自身はあらためての復帰決定に深い感謝とともに、義足をつけての「デビュー戦」という意識で臨む。今年7月で65歳、引退から復帰までのブランクを入れればキャリア40年超となる谷津だけに、プロレス経験は豊富すぎるほど豊富。だからこそ冷静にいまの自分が置かれている状況を分析してもいる。

「復帰戦が滞りなくできて、周りのイメージよりもいい感じでできたとする。次はタッグ、次はシングルって話が出たとしてもひと通りいったら終わっちゃうわけで。義足がひとつの突破口だけど、復帰戦でそのインパクトの半分以上は使っちゃう。だから次の目標も立ててないと。次はハードルを高くして。すでに次のプランも練ってるんだよ、アスリート関係で」

 週刊プロレスの取材のあとの雑談で谷津はそう語っており、「次のプラン」を教えてくれた。だが、これは復帰戦のあとに公にするものと解釈していたが、谷津の名前で検索しているとネット関連の記事にあっさり出ていた。考えてみれば谷津との付き合いは古いが、むかしから「ここだけの話」や「これ書かないでね」とい言われたことがない。裏表がないのか、深く考えてないのか…それが谷津の人間性であり、そこに悪い印象はない。

 谷津が「次のプラン」として頭にあるのはレスリング関係の伝手を生かして、パラリンピックの競技にレスリングを入れること。谷津の人生においてレスリングは切っても切れないものであり、60歳を過ぎて足を失う経験をしたことで生まれた新しい夢とも言える。とはいえまずは6月6日の復帰戦。ここをクリアしないことには次の一歩も踏み出せない。

「いまはまだ体力もあるからやれることをやっておこうと思って突っ走ってるよ。糖尿の数値的にも悪くはないんだけど、これはサイレントキラーだからいつまた来るかわからない。病院には定期的に行ってるし、人間ドッグに365日入ってるみたいなものだけど、こればかりは本当にわからない。だからこそできるうちはやりたいことをやっていくよ」

 明日ではなく今日、そして今日よりも今この瞬間。やれることをやれるうちにという谷津の思いは切実。谷津が今いちばんすべきこと…それは義足でリングに立ち、プロレスをすること。6・6さいたま、64歳、キャリア40年超のプロレスラーのデビュー戦に刮目せよ。

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