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2021-06-21

坂口征二は“姿三四郎のモデル”西郷四郎直系の弟子だった!【週刊プロレス/格闘技通信】

1969年の坂口征二

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 1942年に富田常雄氏が書き下ろした「姿三四郎」は、青春小説の傑作として話題を呼び、映画のヒットと相まって、三四郎ブームを巻き起こした。その三四郎のモデルとされたのは同じく会津若松で生まれた旧名・西郷四郎と言われている。

 西郷四郎は嘉納治五郎が看板を掲げたばかりの講道館に入門し、柔道の修行に打ち込み始めた。五尺(151cm)足らずしかなかったが「小よく大を制す」柔道に生きがいを求め、不世出の天才となり、講道館ナンバーワンの実力者に成長していく。

 西郷四郎の最大の武器は講道館で「猫」とあだ名された身のこなしの敏捷さと柔軟さ。そして必殺技=背負い投げと払い腰のミックス技「山嵐」である。

 そんな西郷四郎は1894年に福岡・久留米の南筑私学校に柔道師範として招かれた。久留米はもともと柔術の盛んな土地で渋川流の渋川伴五郎や扱心流の犬上郡兵衛など数多くの名人を輩出している。

 南筑私学校は南筑高校に姿を変えて現在に至っているが、柔道では指折りの強豪として成長した。1965年にはOBが全日本制覇を達成。そのOBとは坂口征二。本人はこの奇縁を知らなかったというが、もし知っていたら、リング上の必殺技は山嵐だっただろう。

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