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2021-06-18

【連載 名力士ライバル列伝】増位山が語る「我が心のライバルたち」前編

切れ味鋭い足技を含め、土俵内外で多彩多芸ぶりを見せた増位山

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無類の闘志と卓越した技で、多士済々の時代を生き抜いた名力士たち。
元三重ノ海の石山五郎氏、元旭國の太田武雄氏、元増位山の澤田昇氏に、名勝負の記憶とともに、しのぎを削った男たちとの思い出を聞いた。

本場所の土俵で覚えた技。早起きで切磋琢磨した好敵手たち

内掛け、外掛け、独特の上手投げと技を繰り出して、相手に嫌がられる相撲を取ってきた私ですが(笑)、こうした多彩な技は稽古場ではなく、本場所の土俵の中で覚えていきました。稽古はあくまで、当たる力や、前に出る力を身に付けるためのものですからね。本場所でとっさに技が出て決まると、「これは使えるな」となり、また次の本場所で出せるようになる。そうして技を磨いていったように思います。

特に内掛けは私の父の得意手でもあり、あの双葉山さんに勝ったこともあります(昭和19年1月場所11日目)。この技は相手からすれば尻から落ちるので、一番みっともない負け方。逆に勝ったほうは実に気持ちがいい(笑)。内掛けにせよ外掛けにせよ、なるべくカカトに近い、下のほうに掛けるのがコツ。体の中心から遠い場所ほど相手は力を入れにくく、外されにくい。逆にヒザに近い高いところでは効果がなく、特に外掛けは抱っこする体勢になるので、吊り身の貴ノ花さんのようなタイプには、そのまま吊り出されてしまいます。

内掛け、外掛けを連続で繰り出す「二足掛け」は、福の花さん(昭和48年初場所6日目)と、その前に双津竜を相手にも決めていますね(47年秋場所14日目)。福の花さんとの一戦は、内掛けのキレが悪くて一発で決まらず、とっさに掛かる位置にある左足を飛ばしました。より完全に仕留めるためではありますが、こうした飛び道具は、体が勝手に動くくらいの、一瞬の判断でなければ決まりません。

足技で崩して投げで仕留める。大麒麟さんとの一戦(昭和47年九州場所9日目)は特に理想的な流れです。大麒麟さんは体が柔らかいために非常に重く感じるので、下半身から崩さないと投げを食らってくれない。私は根は右四つですが、上手投げを打つのも右ですから、大麒麟さんが、左を巻き替えてくれたおかげで、左外掛けで崩しての右上手投げが決まったんです。この場所、初めて技能賞をいただきましたが、父は技能賞第1号でしたし(22年11月場所)、取りたいと思っていた賞だったので、うれしかったですね。

初金星の北の富士さんとの一戦(昭和49年初場所6日目)も、相手の上手を切っての右上手投げといういい流れです。こうした廻しの切り方を学んだのも一門の稽古。特に栃ノ海さん(中立親方、のち春日野親方)が何種類も切り方を持っていました。ただ、そういう技術は言葉で教えてもらうのではなく目で見て盗むもの。特に春日野部屋には先代の栃東さんなど技巧派が多く、参考にさせてもらいました。(元大関増位山=澤田昇氏、続く)

『名力士風雲録』第17号三重ノ海 魁傑 旭國 増位山掲載

昭和49年初場所6日目、横綱北の富士を右上手投げで破り初の金星を獲得した
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