close

2021-11-04

1987年の長州力は年収4000万円以上!? 稼いだ金はいったいどこに消えるのか【週刊プロレス】

1987年4月の長州軍団

 全日本プロレスから新日本プロレスに移籍する渦中にいた長州力。1987年5月2日のアントニオ猪木ージャイアント馬場会談でははっきりした結論が出ずに話し合いは持ち越された。

 そんな長州についての面白い記事を発掘。当時の長州はうなぎ上りのネームバリューだけに「ファイトマネー、テレビCM出演、キャラクター商品などからの副収入を合わせると年収4000万円は下らない」と見られていたという。

 ところが「ニューリーダー4人(ほかはジャンボ鶴田、天龍源一郎、藤波辰巳=当時)の中で最も金を残していないのも長州」というのが当時のマット関係者の一致した声。長州は飲む、打つ、買うの3つともしない。では、稼いだ金はいったいどこに消えるのか。

 実は長州は気前と面倒見がよすぎて金が貯まらないのだ。母校・専修大学のアマチュア・レスリング部へ遊びに行けば、練習が終わった後「食えや、飲めや」でひと晩に10万以上も使う。ロサンゼルス五輪の時には、2人の日本代表選手に25万円ずつの小遣いを与えた。また、自分のファイトマネーの中から長州軍団の若手に“プラスアルファ”をつけてやるなど後輩をかわいがるために“浪費”を続ける。

 さらに、ニューヨークで日本レストランを開くプランを持つアマレス時代の先輩が開店資金に困っているのを知った長州はなんと無利子、返済無期限でポンと数百万を貸したという。金銭感覚にうといのは事実にしろ、困っている人を見ると放って置けない性格でもあるようで、それが周囲から慕われる理由なのである。

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事