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2021-12-11

野村克也から新庄剛志への手紙 〜 『野村克也からの手紙 野球と人生がわかる二十一通』より

『野村克也からの手紙 野球と人生がわかる二十一通』は野村氏自身が同志、弟子、家族へとしたためた21通の手紙で構成された一冊。本文中の手紙の宛名とカバー写真の手紙の文字は野村氏の直筆

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2018年刊行の『野村克也からの手紙 野球と人生がわかる二十一通』は、83歳となった野村克也氏が、プロ野球と共に歩んだ人生のなかで、出会い、別れた人々から得たこと、経験からつかんだ教訓を、彼らへの手紙の形をとって伝えた一冊です。「手紙だからこそ、より伝わることがあるかもしれない。あればと思う」(本書より)という野村氏の言葉のとおり、リーダーへの助言、挑戦者への激励、友への感謝、家族への愛などが率直な言葉で綴られています。本書の「個性派へ・忠告の手紙」の章より、新庄剛志への手紙を紹介します。

新庄剛志様 宇宙人の君へ「あとはもう少し、努力してもよかったな」

いったい今、どこで何をやっているのか。

少し前はバリ島に住み、絵画を描いて暮らしていると聞いたが、収入源は大丈夫なのか? お前の絵を買ってくれる人がいるのか?

お前は本当に、『天才バカボン』だった。「天才となんとかは、紙一重」というヤツだ。人によっては『宇宙人』と表現することもあった。

選手を生かすも殺すも、監督の腕次第。まあ、俺は昔から奇人変人を相手に丁々発止やってここまで来たから、阪神で初めて会ったときも、多少の変人なら問題ないと思っていた。しかし、お前には論理がまったく通用しなかった。理論攻めで納得させようとしても、ムダ。幸い素直だから、聞く耳だけは持っている。ところが聞く耳はあっても、なかなか俺の意図するところを理解してくれなかった。

 「考えること」が苦手だったのは、それまで何も考えなくても、素質だけでやってくることができたからだ。

 お前は足も速く、肩も強い。守備もうまい。体力といい、天賦の才に恵まれていた。だから、いいのか悪いのかわからないが、なんでも簡単に考えてしまうクセがあった。「いつでもホームランを打ちますよ」とかなんとか。とにかくすべて、甘く考えていた。世の中も、メジャー・リーグでさえも。『過信家』とでも言えばいいのだろうか。こういうタイプは、押し付けてもダメだと思った。

 「人を見て法を説け」という言葉がある。相手の性格や能力を見て、適切な助言をしろということだ。お前は目立ちたがり屋だったから、自由奔放にやらせることで、能力を出してもらおうと思った。おだてて、おだてて、『豚もおだてりゃ木に登る』作戦である。

 そこで、初めはキャッチャーをやらせてみようと思ったのだが、かなり嫌そうだったな。「どこのポジションをやりたいんだ?」と聞いたら案の定、「そりゃ、ピッチャーですよ」と言った。こうしてお前の“二刀流”挑戦が始まったわけだ。

 結局オープン戦2試合に投げるまでピッチャーをやり、左ひざを痛めて断念した。話題作りだのなんだのと外野は騒いだが、俺には俺の考えがあった。

 お前に「配球とは何か」知ってほしかった。そしてピッチャーの立場に立って、バッター(つまり、お前自身のことだ)を知ってもらいたかった。また、自分で投げてみれば、ピッチャーがストライクを取るのがどれだけ難しいかわかる。ひいては自分がバッターボックスに立ったとき、極端なボール球に手を出さなくする狙いもあった。

 もう一つ、ピッチャーをやることで、上半身主体でなく下半身を使ったバッティングに生かしてほしかった。

 お前はそれなりに楽しみ、経験によって理解すべきところは理解したと思う。まあ、最後に「ピッチャーはどうだった?」と聞いたら、「やっぱり無理ですねえ」と答えていたな。やってみて初めて、ピッチャーの難しさがわかったのだろう。

 話は少し飛ぶが、2018年のシーズンから、敬遠四球が『申告制』になった。意思表示をすれば、4球ボールを投げなくてもバッターを一塁に歩かせることができるのだ。試合時間短縮が目的というが、ピッチャーが審判に「歩かせます」と宣言し、敬遠成立。それで短縮される時間が、わずか1分なのだという。私はそんな改正には大反対。野球には、敬遠によって生まれるドラマもある。例えばお前のような、敬遠球打ちだ。

 あれは甲子園の巨人戦(1999年6月12日)だったな。4対4の同点で迎えた延長12回裏。一死一、三塁のチャンスに、四番のお前が打席に入った。あの日、8回の打席では同点アーチを打っていた。

 そこで槙原(寛己)─光山(英和)の巨人バッテリーは、敬遠策を取った。光山が立ち上がり、

1球目。敬遠球にしては低かった。2球目、槙原はまた中途半端な球を、外角に放った。お前は思い切り踏み込み、バットを強振。打球はレフト前に転がり、サヨナラ打になった。敬遠球を打ってのサヨナラ打は、9年ぶりの珍事だった。

 あの数日前の試合で敬遠されたお前は、打撃コーチの柏原純一に「敬遠の球を打ってもいいんですか?」と聞いたそうだな。それは、聞いた相手がよかった。柏原は日本ハム時代の81年、西武・永射保が外角高めに外した敬遠球に飛びついて打ち、左中間スタンドへ運んでいる。その柏原に、「俺は、敬遠のボールをホームランにしたことがあるぞ」と言われ、すっかりその気になったのか。俺の姿を見つけるや、ダーッと駆け寄ってきた。何事かと思ったら、「監督、敬遠の球を打ってもいいですか?」。俺はつい簡単に、「ああ、いいよ」と答えてしまった。お前は翌日から早速、フリー打撃でわざわざ高めの球を打つ練習をしていた。

しかし、だ。あとから冷静に考えてみると、ルール違反とまではいかなくても、『紳士協定』には反した行為だったと思う。相手が「歩かせますよ」と言っているのだから、「ありがとう」と従うべきだった。失礼なことをした。

しかも敬遠策を取ったため、ショートが二塁ベースについており、三遊間が大きく空いていた。お前、そこを目掛けて打っただろう。もちろん、槙原も悪いのだ。バットの届くところに投げるから、打たれてしまう。昔の(申告制などというものができる前の)メジャー・リーグの敬遠策を思い出せば、よくわかる。キャッチャーが思い切り横へ踏み出すから、絶対に届かない。だけどお前のほうも、メジャー時代にあれをやっていたら、次は間違いなくビーンボールが来ただろうがな。

俺はあれから槙原に謝ろう、謝ろうと思って、ずっと失念し続けている。テレビのスポーツ番組でしょっちゅう顔を合わせているのに、つい忘れてしまうのだ。

引退の挨拶に来たとき、俺が言った言葉を覚えているだろうか。
「お前から野球を取ったら、何が残る?」


さて、ここからは小言を言わせてくれ。お前はもう少し、人間としての考え方を学んだほうがいい。典型的なタレント型の選手で、常に「カッコいいか、カッコ悪いか」が行動のもとになっていた。例えば筋トレも、上半身は鍛えるが、下半身はやろうともしない。俺が「下もバランスよく鍛えろ」と言うと、「下半身を鍛えたら、ももが太くなってカッコ悪い。今履いているジーンズが似合わなくなるから嫌です」と言って、聞かなかった。

外野守備でピョンッとジャンプして捕るのも、本来なら邪道。あれも単に「カッコいい」から、やっていたんだよな。

阪神時代は表立ってやらなかったファンサービスを、日本ハムに移籍後、率先して行ったのはよかったし、えらいなと思う。お前は素質も抜群だし、スターの雰囲気を持っている。あとはもう少し、努力してもよかったな。

野球の厄介なところは、アタマを使ってもできるし、使わなくてもできること。とはいえ、何も考えないでプレーする選手は、たいがい二軍止まりなのだが、お前は違った。

もっとアタマを使う習慣があったら、長嶋茂雄どころではない、長嶋をも超える、最強の選手になっていたかもしれない。

引退の挨拶に来たとき、俺が言った言葉を覚えているだろうか。

「お前から野球を取ったら、何が残る?」

今、芸術とかモータースポーツとか、いろいろなことにチャレンジしているようだが、そういったものを通し、自分自身を磨いてほしい。才能だけでなく人徳を備えた者が、真の豊かさを手にできるのだから。

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