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2021-12-17

【連載 名力士ライバル列伝】元大関・大受久晃が語る「押し一徹」の土俵人生――中編

塩をたたきつけるような所作は闘志の表れでもあった

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「ケレン味のない」という言葉が、
これほどぴったりと当てはまる相撲ぶりもないだろう。
叩きも知らず、引くことも知らず、ひたすら前に出て相手を土俵の外へ。
新入幕技能賞に、初の三賞独占――全盛は短くとも、
純粋に「押し一筋」で花を咲かせたその生き様は、心の琴線に響く潔さがある。
元大関大受の堺谷利秋氏が回想する。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

連日、横綱の胸を借りて

一時平幕に低迷したのは、昭和45(1970)年九州場所で痛めた右ヒザの影響、そして「慢心もあったからじゃないかな」と本人は言う。だが48年に入ると再び三役・三賞の常連となり、ついに大関へ。気迫あふれる圧巻の押し相撲の神髄が、そこにあった。

低迷していたころ、師匠に「差して寄る相撲も取ってみたらどうだ」と言われたことがあったんです。でも、やってみると何となくしっくりこない。やはり、人に言われても自分の肌で感じるものがなければ、相撲は変えられません。激しい突き押しの前の山さんも、そこから四つに組む取り口だったし、同じ押し相撲タイプの黒姫山さんだって右四つで廻しをつかむ相撲も取れた。でも私は「やっぱり『押し』でいくんだ」と、そこで確固たる信念を持ったのです。そこから出稽古でさらに精進し、大関に上がるころには、自惚れかもしれませんけど、自分の押しに自信があふれ、まったく負ける気がしませんでしたね。

三賞を独占した名古屋場所は、場所前に九重部屋の宿舎に出稽古に行き、北の富士さんに毎日のように稽古をつけてもらったことが大きかった。北の富士さんには、立ち合いの速さ、相撲のスピードにどうしてもついていくことができずに初顔から12連敗(不戦敗1含む)。でも、稽古で何番も取るうちに勝てる相撲も少しずつ出てくる。それが、手応えとして本場所での自信につながっていったんですよ。

そういえば、北の富士さんのライバルだった玉の海さん。あの方も本当に強かったですね。巡業で貴ノ花と二人で代わるがわる稽古をつけてもらいましたが、私たちは息が上がっているのに玉の海さんは平気な顔。大鵬さんと同じように、押しても押しても、腰が重くて柔らかく押し込めないのです。本場所でも6連敗と一度も勝てませんでした。玉の海さんが元気だったら、輪島だって簡単に横綱にはなれなかったでしょうし、私も大関に上がれたかどうかは分かりませんね。

もう一つ余談ですが、九重部屋への出稽古の際、当時まだ三段目か幕下の千代の富士に稽古をつけたことがあるんです。体は細いのですが、押していっても足腰がどっしりとして土俵から足が離れない。「これは強くなるな」と思いましたが、案の定でした。彼が入幕した場所の初対戦でも負けています(昭和50年秋場所2日目、千代の富士にとっては幕内初勝利)。実は北の湖にも輪島にも、私は初顔で負けているんです。横綱に上がった人たちですから力の差は当然かもしれませんが、相手に苦手意識を持たないためにも、やはり初対戦で勝つことは大事なことなのかもしれません。

対戦成績=大鵬3勝―1勝大受、北の富士13勝―3勝大受、貴ノ花15勝―8勝大受

『名力士風雲録』第21号清国 前の山 大麒麟 大受掲載

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