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2021-12-31

「欠場中は本当に復帰できるのかなってぐらいの不安がありました」ドキュメント潮崎豪復帰<4>【週刊プロレス】

潮崎豪は右肩を手術受けた後、装具をつけて右腕を固定していた(写真提供・NOAH)

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 潮崎豪は今年2月12日のNOAH日本武道館大会で武藤敬司に敗れて、GHCヘビー級王座から陥落。3月14日の福岡大会を最後に長期欠場生活に入った。その後は表舞台から姿を完全に消し、SNSなどの更新もなし。復帰まで語られることのなかった過酷な手術&リハビリ生活について語ってもらった。
※週刊プロレス2021年1月5&12日合併号掲載。

 手術は4月7日に決定。術後は右肩を動かすことができなくなるので、どうしても筋肉は落ちてしまう。主治医と相談して少しでも早く復帰するために、手術前にできるだけのトレーニングをして、右肩の“筋肉貯金”を増やした。

「手術は全身麻酔。内視鏡でやってもらいました。手術自体は寝てる間に終わっちゃったんですけど、それからが本当に大変でしたよ…」

 術後は約2カ月間、右肩の腱とジン帯が定着するまでがっちりと固定する装具をつけなければいけなかった。風呂に入る時は2リットルのペットボトルを右腕と腹に挟んで、三角巾で右腕を吊った状態。就寝も装具をつけて、右に寝返りを打たないようにまくらを積み上げて身動きを制限。すべての動作が思うようにいかない。着替えるだけでもひと苦労だ。


「Tシャツは腕を通すのが大変だったんで、できるだけ大きい5XLとか着てました。長袖なんて着れなかったでしょうね。だから、暖かい季節でよかったですよ(笑)。
 でも、早く復帰したいという気持ちがある一方で、とにかく自分の力で右肩を動かしちゃいけない。というよりも右肩に少しでも力が入ると痛い。だから、どこのトレーニングもできませんでした。

 ものすごくストレスがたまりますし、こんな長い間、ほとんど体を動かさないで、本当に復帰できるのかなってぐらいの不安がありました。あの頃はきつかったですね」

 ようやく装具を外して、リハビリを開始したのが6月。あらゆることを左腕でやることに慣れてきた頃だ。リハビリも過酷だった。

「装具を外してから右肩を動かそうにもほとんど動かないんです。うまく言えませんが、力の入れ方がわからない。動かし方を忘れちゃったみたいな感じ。最初は5cmぐらい動かすのがやっと。そこからリハビリで可動域を広げていきました。

 先生に少しずつ動く範囲を広げていってもらって、固まってる筋肉もほぐす。1日がんばって可動域が1cm広がるぐらい。何かしら復帰が早くならないかって常に近道を考えちゃうんですけど、そんなものはない。とにかく少しずつ焦らず。正直、これは長くなりそうだなって思いましたね」

 18年のキャリアで負傷欠場はあったが、ここまでのリハビリは初めて。もしも焦って強引に動かそうとしたら、よりひどくなって復帰が遠のくと注意されていた。それゆえに極力、プロレスの情報はシャットアウト。まずは右肩を元に戻すことだけに集中した。

 まともにトレーニングできるようになったのは10月に入ってから。1kgのダンベルを持って腕をブラブラさせて周りの筋肉を鍛えることから一歩一歩始めた。一気に重量を増やすこともできない。軽い負荷をゆっくりと連続して筋肉に与える。

 これまでのトレーニングとはまったく違った。途方もないリハビリ生活だったが、潮崎はリングに戻るために必死に励んだ。

 復帰の目標は決まっていた。NOAHは8月15日に'22年1月1日の日本武道館大会を発表。潮崎はその前にリングへ戻る青写真を描く。

「元日、武道館…そこにI AM NOAHがいなきゃダメでしょっていう思いがありました。でも、武道館で復帰というのはちょっと違う。その前の12月中に復帰しようと決めてました」

 NOAHの道場には稲村愛輝がストロングマントレーニングで導入した350kgの巨大タイヤがある。潮崎はそれを起こして倒すことができたら復帰しようと決意。見事に11月中旬に達成できた。
(つづく)


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