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2022-02-11

北米タッグを狙って3代にわたってベルトに挑戦してきた名タッグとは? 新日本プロレス歴史街道50年<11>【週刊プロレス】

ハリウッド・ブロンドス

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 NWFヘビー級に次ぎ、新日本プロレスにとって第2の王座となった北米タッグ。NWFのタイトル戦が東京を中心にした大会場でのみ防衛戦を展開していくことで至宝の価値を高めていったのに対し、北米タッグは興行の目玉として各地で開催されていった。当初はシリーズに参戦している外国人エースとナンバー2が組んで挑戦することが多く、即席コンビも多かった。ここでは北米タッグの挑戦者の顔触れを見ていこう。

 アントニオ猪木&坂口征二の黄金コンビがロスでナチスの亡霊コンビ(クルト・フォン・ヘス&カール・フォン・ショッツ)からベルトを奪取、新日本マットに定着させてから1981年4月に封印されるまで、国内では計39度の北米タッグ戦がおこなわれてきた。シリーズに参戦している外国人エースが2番手と組んで挑戦してくることが多かったが、タッグ屋というべきチーム相手では苦戦を強いられることが多かった。

 王座を明け渡したのは、ハリウッド・ブロンドス(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助、ヒロ・マツダ&マサ・サイトーの3チーム。同王座を懸けて複数回闘っているのはほかにザ・サモアンズ(アファ・アノアイ&シカ・アノアイ)がいるのみ。それだけシリーズごとに外国人選手が入れ替わっていた。

 猪木とシンの因縁は次第に周りをも巻き込み、タッグ戦線にまで飛び火。シンは上田以外にもマイティ・ズール、ブルータス・ムルンバ、ジンバ・カーン、ドン・ムラコとパートナーを代えて、防衛戦も含めれば13度、北米タッグ戦を闘っている。

 上田も計10度の同王座戦をおこない、サンダー杉山をパートナーにした1回を除いてはすべてシンとのコンビ。全日本マットでもジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビからインターナショナルタッグ王座を強奪しており、日本プロレス史に残る名タッグといえよう。

 北米タッグを腰に巻いた新日本コンビは、猪木&坂口、坂口&ストロング小林、坂口&長州力の3チームだが、そのいずれのチームともタイトルマッチで闘っているのがハリウッド・ブロンドス。約10年にわたってコンビを組んでおり、ロサンゼルス地区のアメリカスタッグの5度を筆頭に、カナダ、中西部、フロリダ、ミッドアトランティック各地区のタッグ王座を何度も手にした実力者チーム。

 特に大型ではないが、ダブル・ブレーンバスターやクロスラインをフィニッシュに使用し、タッグ屋らしく2人がかりの攻撃が得意だった。ちなみにバディ・ロバーツはのちに参謀格としてテリー・ゴーディ、マイケル・ヘイズとトリオを組み、フリーバーズとしても活躍している。

 ほかにアンドレ・ザ・ジャイアント、パット・パターソン、イワン・コロフ、グレッグ・バレンタイン、ブルート・バーナードなど、タッグパートナーを代えて複数回挑戦しているが、80年代に入ると、サイトーとバッドニュース・アレンが集中的に挑戦している。

 サイトーはレスリングと柔道で競技こそ異なるが、坂口とは明大の同期生。またアレンとは時代こそズレているものの、同じ柔道出身でジャケットマッチでも闘っている。2人とも坂口のライバルともいうべき存在。その意味でも北米タッグは坂口の代名詞ともいうべき王座だった。
(つづく)

橋爪哲也

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