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2022-03-08

大仁田厚が左ヒザ複雑骨折で最初の引退【週刊プロレス昔話】

マットに乗せられて引き揚げる大仁田厚

 1983年4月20日、全日本プロレス東京体育館大会で大仁田厚がNWAインターナショナル・ジュニアヘビー王者(世界ジュニアヘビー王座の前身)として最後の防衛戦に臨んだ。

 大仁田は前年の1982年3月7日、アメリカ・ノースカロライナ州シャーロットでチャボ・ゲレロから同王座を奪取。5月に凱旋し、チャボとの抗争で一時は返上したが、すぐに返り咲き。この日まで5度の防衛に成功していた。

 挑戦者はチャボの弟であるヘクター・ゲレロ。大仁田は空中殺法に苦戦を強いられたが、トペ・スイシーダ、ミサイルキックで反撃し、ジャーマンで快勝した。

 試合後、ヘクターが「カウントが早かった」と激高。場外乱闘となり、その興奮が尾を引いていたのだろう。大仁田はセコンド陣に制止されてエプロンに立つと、客席に振り向いて手を上げた。

 その瞬間、足を踏み滑らせて転落。左ヒザを床に強打して、左膝蓋複雑骨折という重傷を負ってしまった。

 入院した慶応病院では4つに割れたヒザのお皿をワイヤーでつなぎ止める手術を受け、プロレスラーとして再起不能だと見られていた。しかし、大仁田は1年間の闘病生活に耐え、1984年5月にカムバック。8月にマイティ井上の同王座に挑戦したが引き分け。12月2日の後楽園大会で「負けたら引退」と挑んだが敗北。最初の引退をすることになった。

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