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2022-03-19

天龍源一郎が三冠ヘビー級初戴冠!「3本のベルトは東京ドームより重い」【週刊プロレス昔話】

試合後、3本のベルトを掲げる天龍源一郎

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 1989年6月5日、全日本プロレス日本武道館大会で天龍源一郎がジャンボ鶴田を破って、三冠ヘビー級王座初戴冠を成し遂げた。

 試合開始から24分5秒。和田京平レフェリーの手が確かに3回マットを叩いた。1万5200人超満員の観衆は「ワン、ツー、スリー!」と大合唱だ。

 天龍は同年4月20日、全日本大阪大会で鶴田の三冠ヘビー級王座に挑戦。垂直落下のパワーボムで首を負傷して敗れていた。

 プロレスラーにとって首の負傷は致命傷。天龍でさえ「やらなきゃいけないっていう気持ちは出てきたんだけど、体がそれについていかないんだ」と弱気になっていた。

 しかし、王者の鶴田は「悔いの残らないように思い切っていきますよ。ガンガンいかないと天龍に対して失礼ですから。リング上で目が合ったら、弱点を攻めるのがプロです」とキッパリ。内心では葛藤があったに違いないが、余計な遠慮は自分自身への命取りになってしまう場合すらある。

 試合が始まると鶴田は容赦なく首を攻めていった。フロント・ハイキック、ブルドッキング・ヘッドロック、首筋を狙ったダイビング・ニー3連発、体重の乗ったラリアット、ジャンピング・ネックブリーカー、ヒザを鋭角に突き立ててのジャンピング・ニー、バックドロップ…。天龍は猛攻をことごとく返していく。

 一瞬の隙を突いて、反撃に転じた天龍はラリアット、延髄斬り、パワーボムと大技ラッシュ。2発目のパワーボムで3カウントを奪った。

 試合後の天龍は「3本のベルトは東京ドームより重い」と同年4月に新日本プロレスが初進出を果たした“ビッグエッグ”を引き合いに出して心境を語った。一方、敗れた鶴田は「今日は負けました。素直に認めます。本当にいいライバルをもってボクは幸せですよ。勝っても負けても、こういう試合ができることが嬉しい」。前年には盟友の阿修羅・原が全日本を解雇され、2カ月前に首を負傷。“革命”は危機を脱して、本格的な鶴龍時代の到来を予感させた。

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