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2022-03-20

クリス・ベンワーに留学を勧めた人物は? 新日本プロレス歴史街道50年(28)【週刊プロレス】

新日本に留学していた頃のクリス・ベンワー

 前回の新日本プロレス留学生の項でクリス・ベンワーについて振り返ったが、WWEが「スマックダウン・ツアー」で日本に本格上陸する前、プロモーションで来日した。当時は首の手術を受けてリハビリ中。彼にとっては久しぶりに踏むもう一つのふるさと。記者会見後にキャッチして新日本留学時代の思い出を中心に聞いた。そのインタビューをここに再録する(2002年1月18日、都内ホテルで収録)。
※表記、記録は掲載当時のもの

――お帰りなさい。

クリス ありがとう。自分は日本でキャリアをスタートさせたから、こうやってプロモーションに参加できることは本当にうれしい。

――新日本の留学生はあなたのほかにもいましたが、出世頭になりましたね。

クリス そう言ってもらえるのはうれしいよ。

――どういうキッカケで新日プロに留学することになったんですか?

クリス 自分がプロレスラーになる門を開いてくれたのはスチュ・ハート。彼の家の庭に置かれていたリングで、プロレスのトレーニングをしていた。

――ミスター・ヒトのコーチを受けたんでしょ?

クリス イエス。トレーニングといっても毎日、バンプ(受け身)ばっかり。それもほかのレスラーの技を100回も200回も受けるんだ。技らしい技なんて教えてもらえなかった。

――まるで練習台ですね。

クリス 毎日こんなのでプロレスラーになれるんだろうかって悩んだよ。

――よく耐えられましたね。

クリス ミスター・ヒトに相談したら、「いつか必ずこれが役に立つから。プロレスラーは自分で自分の身を守らなくちゃいけない。バンプを完璧にマスターすれば、どんな態勢で投げられてもケガしないから」と言われた。その言葉は正しかったよ。

――じゃあ、新日本への留学はミスター・ヒトの紹介?

クリス ノー、バッドニュース・アレンだよ。毎日、何百回も投げられている自分を見るに見かねて助けてくれたんじゃないか(笑)。彼もニュージャパンのドージョーでプロレスを学んだと言っていた。

――日本で暮らすことに不安はなかったですか?

クリス 確かに不安はあったよ。でもそれ以上に、スチュのところでトレーニングを続けていてプロレスラーになれるんだろうかという不安の方が大きかった。ミスター・ヒトもニュージャパンに行く方がベターだと言ってくれたしね。それで決心がついた。

――新日本の道場にはどのくらいいたんですか?

クリス 1年。フナキ(船木優治=現・船木誠勝)、ノガミ(現・AKIRA)、ライガーらと一緒だった。チョーノ(蝶野正洋)、ハシモト(橋本真也)もいたね。ドージョーにはいろんな思い出がある。

――つらかったことは?

クリス やっぱり食事も含めて日本の習慣には戸惑ったよ。言葉の壁もあったしね。ドージョーでの生活もそうだったけど、バスでの移動も日本人と一緒、ホテルも日本人と同じ。日本人のヤングボーイとまったく同じ扱いだった。1人だったら途中でリタイアしてたかもしれない。

――そういえば同時期にダリル・ピーターソンが留学していましたね。

クリス 彼とはお互いに励まし合ったよ。

(つづく)

橋爪哲也

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